2018年08月10日

お盆は「いのちが集う有難き時間(とき)」

おはようございます。
お山は、太陽太陽太陽
昨日から始まったお盆の予兆〜
予兆というよりも、既にお盆そのものの慌ただしさです。
その昔、「時をかける少女」という、歌がありましたが、お盆時期はまさに「時をかけるおぼーさん」!
体力と喉の勝負o(`^´*)
そんな時の助っ人が、
この自家製「シソジュース」マティーニ(カクテルグラス)
ワタクシ、珍しく作ってみました
夏バテに効果を発揮する、シソジュース!
今年は、このドリンクでガンバリますウインク
このお盆、お休みなしで働く皆様、一緒に!ファイトです顔1(うれしいカオ)

『お盆』
お盆には、なつかしい故郷や家族のもとへご先祖様が帰って来ると昔から信じられて来ました。会いたい人に会える大切なひとときです。

ご自分の中にある大切な亡き人や自分に縁をつないでくれたご先祖様に向かい合い、いただいたご縁につながりの有り難さを深く感じなから、ご家族さまと共に心の中で静かに語り合う期間としてお過ごしください四つ葉ゴメン/お願い四つ葉
合掌

38888250_1668276536631477_3101790218273947648_n[1].jpg
ハスイモの葉っぱの上でカエルも一休み♡



posted by むしょうさん at 07:00| Comment(0) | 日記

2018年07月05日

一緒にログハウスを作りませんか?


この度、正雲寺会津本山では
動物たちのための新しい霊殿を
建設することになりました。
自分たちで作る手作りの
ログハウスです。

工期は8月と9月の2ヶ月間。
この間、私、無聖(むしょう)と
一緒に作業してくださる方を
募集しております。

ご興味がおありの方は、
メール(右のプロフィール欄に記載)か
ライン(ID:mushosanで友だち検索)で
お知らせください。
よろしくお願いいたします。

年齢、性別、経験などは
問いません。「たくさんの人に
喜んでもらいたい」という
優しいお心があれば十分です。
私と一緒に素敵なログハウスを
作りましょう!

合掌

posted by むしょうさん at 09:08| Comment(0) | お知らせ

2018年06月20日

LINE で悩み相談


***** LINEで受付中 *****

LINE のみです。
音声通話は毎日19時から21時まで受付。
私一人で対応していますので、他の方との
相談中はお受けできません。

文字トークは先着順でお応えします。
一人一人としっかり向き合いたいので、
返信までに時間がかかることがあります。

経験上、文字トークよりも
音声通話で話し合う方が何倍もお互いを
理解し合えます。話し下手でも大丈夫です。
勇気を出して通話してみてください。
最初に名前だけは教えてくださいね。
名前で呼び合いましょう。

私は修行中の僧侶です。
できないこともたくさんあります。
答えはすぐに見つからないかもしれませんが、
あなたと一緒に考えたいと思っています。

私のLINE IDは、mushosan です。
このIDで「友だち検索」してください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
絶対に自殺をしてはいけません。
あなたが生きていてくれるから、
別の誰かも生きていられるのです。
でも、そのことに誰も気が付きません。
みんな自分のことで精一杯だからです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

posted by むしょうさん at 12:21| Comment(0) | お知らせ

2018年06月14日

『修証義』 第26節

「しゅしょうぎ」は、道元禅師(1200−1253)のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめ、仏さまの教えを易しく解説しています。皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業は私のライフワークになりつつあります。私の等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いです。

【現代語訳】
私たちは、この世界に人間として生まれてきたからこそ、菩提心(自分よりも人の幸せを願う心)を発することができるのです。過去からの数々の因縁がつながっただけでなく、強く願う心があったからこそ、この人間世界に生まれ、お釈迦様の教えに出会えたのです。なんと嬉しいことではありませんか。

【法話】
この一節は、我が身の尊さを説いています。しかし「私は偉い」と慢心することではありません。私という人間が今こうして存在するためには、いったいどれだけの命がつながり、どれだけの条件が揃えばいいのでしょうか。どれ一つ欠けても成立しないこの命です。まさに奇跡の連鎖と言えるでしょう。その命の貴重さを説いているのです。しかし私たちは、こうして授かった貴重な命を雑に扱ってはいないでしょうか。自分の命を軽んじるのは、それが自分の所有物だと勘違いをしているからです。「私の命は私のもの。それをどう扱おうが私の勝手」と言う人がいます。しかし体の中で私のものと呼べる部分があるでしょうか。もし本当に私のものなら、何事も思い通りになりそうですが、実際にはそうはなりません。顔のシワが増えることや髪や爪がのびることを、私たちは一秒も止めることができません。病気になることも歳をとることも、何一つ自分の思い通りにコントロールできないのです。これで本当に自分のものと言えるでしょうか。体の中の細胞の一つ一つは、すべてご先祖様が作り上げてきたもので、私が新たに作り出したものではありません。私という命は、すべて他人が築き上げたものであって、「私」という意識が、ただその管理を託されているにすぎません。私たちは管理者として、この命を有難く受け継ぎ、そしてこの命の価値を全うしなければなりません。それは、子供を産み次の世代に命をつなぐことだけではなく、誰かの生きる力となって、その命を支えることでもあります。菩提心がそれを可能にします。菩提心こそ、すべての命の中で人間だけが持つことを許された奇跡の心なのです。

タグ:お経を読む
posted by むしょうさん at 10:52| Comment(0) | 現代語訳『修証義』

2018年06月08日

「利他はうんざり!」

そう言って若い僧侶が怒っていました。ちなみに「利他(りた)」というのは、仏教の教えで、選り好みせずに有縁の人々を幸福へ導くことを言います。仏弟子(僧侶)の重要な使命であり、日々の実践徳目でもあります。

その若い僧侶の言い分は「○○さんの幸福のために、どうして私が自分の人生を犠牲にしなくちゃいけないんですか!?」というものでした。彼が○○さんのことを嫌っているのは明らかです。自分の好き嫌いで相手を選んでいること、自分が損をすると思い込んでいること、この二つで、彼が「利他」を理解していないことが分かります。

好きな人のために犠牲になることは誰でもできます。そんな誰でもできることをしても、迷いからの解脱や真の幸福は手に入りません。嫌いな人の幸せを願う心があって初めて手に入るのです。聖書には「汝の敵を愛せ」とあります。同じことです。そして利他は人のためだけではなく、自分のためであることを知らなければなりません。修証義という経典には「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」とあります。俗に言う「情けは人のためならず(自分のため)」です。

もちろん簡単なことではありません。修行の自覚がなければ、続けるのは難しいでしょう。その若い僧侶は、困っている人がいたら口よりも先に体が動くような人で、十分に気持ちの優しい、行動力のある人です。そんな彼ですが、利他はできません。それは利他が確かな修行の先に実現するものだからです。

これは私も時々直面する問題です。そんな時私は釈尊の言葉を思い返します。それは「他人のすることしないことを見るな。自分のすることしないことだけを見よ」という言葉です。善いことをする時は、相手の反応や態度を気にせず、一切の見返りを望まず、やったことの中身を誇示せず、やった自分を誇らない、という意味です。ただ、自分は善に照らして何をしたか、何をしなかったかだけを自問すれば良いのです。これが確かな修行です。私はこの修行の中で一進一退を繰り返しています。この先に利他の心がありますが、まだ遠い道のりのように感じています。若い彼が悩むのも無理もないことです。

posted by むしょうさん at 11:20| Comment(0) | 人生相談

2018年06月05日

問い:苦しみはどこから来ますか?

答え:私たちの所有欲からです。

苦しみは、すべてのものに対して「自分のもの」と思い込んで、それに執着することから生じます。すべてのものはただ変化し消滅するだけのものなのに、私たちは不変不滅を望みます。そしてその望みは決して叶えられません。そこに苦しみが生じます。一番身近な例は自分の体です。誰もが自分の体は自分のものだと思い込んでいます。ところが、所有物にもかかわらず、私たちは皺や白髪が増える老化を一秒も止めることができません。病気になることも死ぬこともそうです。いつまでも若くいたい、死にたくないと望んでも、結局は失望することになります。何一つ思いどおりにはならないのです。これで本当に自分のものと言えるでしょうか。もともと所有できないものを所有しようと無駄な努力をしているように見えます。

所有欲の正体は「自分の思いどおりにしたい」という心です。しかし実際には何一つ思いどおりにはなりません。自分の体一つ思いどおりにできないのに、どうして他のものを思いどおりにできるでしょうか。苦しみを減らすには、この世のものはただ変化し消滅するもの、何事も自分の思いどおりにはならず、所有することはできないと思い直すことです。愛する人、愛する人の心についても同じです。

「自分のものではない」と思い直すことは、心が冷めたり、諦めたり、人のことなどどうでもいいと投げやりになることとは違います。むしろ逆です。それは、特定の人に執着するのをやめて、全ての人に対して平等に慈しみの目を向けるということです。私は私のものではなく、彼も彼のものではありません。全ての人が無常の世界に住みながら常住を求めて苦しんでいます。皆が同じ境遇にあるのです。私たちは同じ悲しみを背負った同胞です。互いに憐れみ、優しくしあうのが自然な姿と言えるでしょう。


posted by むしょうさん at 13:34| Comment(0) | 人生相談

2018年05月07日

小さな奇跡

お寺では毎日、何かしら嬉しいことが起きます。普通では考えられないほど頻繁に起きるので、私たちは「小さな奇跡」と呼んでいます。なぜだろうと考えていると、一つの答えが頭に浮かびました。それは、お寺に集まる人々の話す言葉や行いが「素直さ」から出ているということです。仏様の前では誰でも素直になります。嘘を言ったり、我を張る人はいません。その素直さが、本人だけではなく、私たちをも嬉しい気持ちにしてくれます。

お寺には、悲しむ人、苦しむ人、怒る人も集まります。暗い雰囲気になっても不思議ではないのに、そうはならないのは、皆さんが素直に心を打ち明けるからです。重苦しい話でも、どこかに清々しさが残るのは、素直さが根底にあるからです。「お寺は気持ちがいいですね」と誰もが言います。それは、素直な自分になれるから。そして、素直な自分であることが嬉しいからだと思います。

posted by むしょうさん at 07:41| Comment(0) | 日記

2018年05月04日

問い:私は何のために生まれてきたのですか?

答え:別の命を支えるためです。

ですから、別の命を支える生き方をしましょう。それが自然な生き方です。その生き方で、あなたは必要十分な幸せを得られます。これ以外の生き方、自分の命のためだけに生きる生き方は、不自然な生き方です。この生き方では、一時の喜びは得られても、幸せは得られません。自分が何のために生まれてきたのかを知れば、生き方は自然に定まります。

これは、仏教の根本思想「縁起」に基づくお話しです。縁起では、全ての命はつながり合い、支え合っているとします。ある命は、別の命の支えによって成立しています。一つの命が、他とつながりを持たずに単独で存在することはありません。

posted by むしょうさん at 08:31| Comment(0) | 人生相談

2018年04月10日

【心の僧談】水子供養

正雲寺に寄せられるお悩みの一つに人工中絶の問題があります。多くのお父さんお母さんが罪の意識に苦しんでいます。この罪とどのように向き合い、そして乗り越えていくのか、水子供養を例に考えたいと思います。



タグ:水子供養
posted by むしょうさん at 07:18| Comment(0) | 人生相談

2018年03月12日

強情な人との向き合い方

正雲寺は人里離れた山寺で、周囲には山と川があるだけです。毎日ここで自然の移り変わりを見ていると、時々「なるほど、そうだったのか!」とハッとすることがあります。それは、当たり前のことだったり、すでに言い古されたことだったりします。それなのに、今になって急に胸に迫り、強く心に刻まれることがあるのです。それは「知る」ではなく「気づく」ということなのでしょう。

この冬もたくさんの雪が積もりました。12月から2月までの三ヶ月間は、毎日が除雪作業です。雪の下の方はすで氷の塊となっていて、力任せにツルハシを振ってもはね返されるばかり。その度に氷の破片が顔に飛んで来て痛い思いをします。なかなか作業は進まず、私はますますむきになってしまいます。それはまるで氷の塊と格闘しているようです。

3月になると春が訪れます。太陽は日射しを強め、それに応えるように地面は生気を取り戻します。春の陽気が、重い氷を見る見るうちに溶かして行きます。私が何日もかけて格闘した氷を、太陽はわずか数時間で溶かしてしまいました。しかもとても平和的にです。太陽が「さあ、そろそろ春の日射しを届けよう」と言えば、氷は「ではそろそろ私はおいとまします」と答えるのです。両者は穏やかに向き合って格闘などしません。

人は「人間も自然の一部」などと言いながら、自然の営みに真実を見ようとはせず、自分勝手な解釈を探そうとします。しかしそれはいつでも遠回りに終わったり、無駄に終わったりします。人間が自然の一部なら、私たちも自然の営みと同じであるべきだと思うのです。そこに見える真実のとおりに生きられれば、遠回りも無駄もありません。自然の営み中にある真実は、木で例えるなら、幹の部分です。一方、自分勝手な解釈は枝葉に過ぎません。もしかすると枝葉でさえないかもしれません。

強情な人と向き合う方法は、太陽が氷にするように、春の日射しを届けることです。力任せにツルハシを振るうのは、表面のわずかな部分を削るばかりで、とても長い時間がかかります。途中で抵抗にあって、痛い思いをするかもしれません。決して得策とは言えませんね。強情な人は、いわば氷の塊です。その氷を溶かすのは、あなたが放つ春の日射しです。時々、ツルハシで割れ目を入れるのも良いかもしれません。溶けるのが速くなります。しかしツルハシを入れるポイント、即ち「氷の目」を心得ていないと割れ目は入れられません。もしあなたに心得がないなら、手当たり次第にツルハシを振るうことはせず、ただ暖かな春の日射しを注ぎ続けてください。そしてその日差しが強ければ強いほど、氷が溶けるのも速いことを知っておいてください。

自然の営みは、すぐに答えを求めようする私たちには、まどろこしく見えます。しかし本当は、最も合理的で、一番の近道で、そして何よりも平和的な姿なのです。

posted by むしょうさん at 12:08| Comment(0) | 人生相談