2017年10月13日

問い:50過ぎです。乱暴に生きてきました。やり直せますか?

答え:やり直せます。

ただし、これが最後のチャンスです。しっかりと覚悟してください。人に暴力をふるい、多くの人を傷つけ、自分勝手に生きてきたあなたです。40年もの間、ため続けた心の汚れを取り除くのは簡単ではありません。3年はかかります。

あなたの修行は「我慢」です。何があっても我慢をしてください。すべてを我慢してください。相手を選んではいけません。唇を噛んで血がにじんでも、決して口を開けて言い返してはいけません。これからあなたは、人からののしられたり、殴られたりするでしょう。それでも黙って我慢してください。そして毎日一つだけ、一つだけで構いませんから、人が喜ぶことをしてください。大変な苦行ですが、もしあなたが必死に励むなら、3年で結果が出ます。

人からののしられたり、殴られたりするのは、あなたがこれまで行ってきた悪に対する苦の報いです。これを「悪因苦果」と言います。悪いことをすれば、必ず苦しみが報いとなって自分に帰ってくるという意味です。報いは抵抗せずに受け入れなければなりません。もし報いに抵抗すれば、それがまた悪となって、さらなる苦の報いを作ります。愚かな人は、そうとも知らずに抵抗し続けるので、悪因苦果を一生繰り返すのです。どこかで報いを清算しなければなりません。あなたは3年をかけて報いを清算し、新たに悪因苦果を作らないように修行するのです。これが「我慢」です。仏教では「忍辱(にんにく)」と呼び、この上なく苦しい修行だと教えています。

お釈迦さまの時代、アングリマーラという名の殺人鬼がいました。100人を殺せば悟りを開けるという間違った教えを信じて、殺人を繰り返していました。すでに99人を殺し、最後の一人としてお釈迦さまに刃を向けたのです。お釈迦さまはアングリマーラと静かに向き合い「そのようなことをしても悟りは開けないこと、殺さないことによってのみ悟りが開けるのだ」と教えました。アングリマーラは即座に改心をし、仏弟子として生きることを誓います。しかし、これまでの悪行に対する報いが消えることはなく、町に托鉢に出れば、人々から「殺人鬼がやってきた」と叫ばれて石を投げつけられ、つばを吐かれ、引きずり回されたのでした。それが来る日も来る日も続きました。見かねた他の仏弟子たちがお釈迦さまに言いました。「アングリマーラは血だらけです。あれでは命がもちません。どうか托鉢を止めさせてください」と。しかしお釈迦さまは言いました。「アングリマーラは自分の過去の悪行の報いを今受けているのだ。アングリマーラは耐えねばならない」と。そうしてアングリマーラは何年も耐え抜き、ついに悟りを得て、「アヒンサー(不殺生の人)」と呼ばれるまでになったということです。

アングリマーラはあなたです。アングリマーラと同じ覚悟をもって、耐え抜いてください。耐え抜いた先には必ず幸せが待っています。最後にお釈迦さまのお言葉をあなたにお贈りします。

「以前には悪い行いをした人でも、
のちに善によってつぐなうならば、
その人はこの世の中を照らす光となる」


ーーーーーーーーーーーーーーーーー
ご相談は、
メール: mushou@shounji.or.jp
LINE ID: mushosan
ご連絡の際「ブログ記事〇〇を見た」と
書き添えていただけると幸いです。

posted by むしょうさん at 12:51| Comment(0) | 人生相談

2017年10月07日

ドンちゃんとサンちゃん


IMG_0727.HEIC (1).jpg

会津本山には、屋外のワンコの他に、室内にもワンコとニャンコがいます。奥のミニチュアダックスが「サンちゃん」で、手前のマルチーズが「ドンちゃん」です。正雲寺のアイドル犬です。でも本人たちは「お坊さんたちをしっかり守る!」という重大な任務を負って、日々家の中をトコトコパトロールしています。めんこい二人です。

posted by むしょうさん at 14:08| Comment(0) | 日記

2017年09月26日

『修証義』 第23節

「しゅしょうぎ」は、道元禅師(1200−1253)のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめ、仏さまの教えを易しく解説しています。皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業は私のライフワークになりつつあります。私の等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いです。

【現代語訳】
利行(りぎょう)とは、人を選ばず、見返りを求めずに助けることです。愚かな人ほど、人の利益を優先すると自分の利益が減ってしまうなどと考えます。そうではありません。利行というのは、自分とか他人とかの区別を超えた真理なのです。どちらか一方だけということはありません。どちらにも平等に利益があるのです。

【ミニ法話】
これは本当に、胆に銘じておきたい道元禅師のお言葉です。私たちは何か善いことをする時、心のどこかで、見返りを求めたり、損得計算をします。人のために何かをすると、自分が犠牲になったり、損をすると思ってしまいます。しかしそれは間違いです。例え表面的には自分が犠牲になっているように見えても、損をしているように見えても、本当はそうではなく、結局は自分が幸せになるための努力なのです。ボランティア活動が良い例です。ボランティア経験者は誰もが口を揃えて言います。「困っている人に喜んでもらいたいと思ってボランティアに参加したけれど、私はそれ以上の喜びを彼らからいただきました」と。お金も時間も犠牲にした人々ですが、それらを補って余りある喜びを得たのです。利行は、どちらか一方ではなく、どちらにも幸せをもたらします。この理屈が分かっていれば、善いことをするのに、ためらいはなくなります。

タグ:お経を読む
posted by むしょうさん at 14:04| Comment(0) | 現代語訳『修証義』

2017年09月17日

問い:苦しい時はどうすればいいですか?

答え:耐え忍ぶことです。

こう答えると、「何てバカなことを言うんだ!」と叱られるかもしれませんね。「忍耐(耐え忍ぶこと)」が嫌われるのは、あきらめムードが漂っているからでしょう。勝敗や優劣で人を測る世間では、忍耐が弱者がとる態度のように見られてしまいます。消極的で弱腰のイメージがあるのです。

しかしお釈迦様の見方は世間とは全く違います。お釈迦様は仰います。「忍耐は、人を幸せへと導く最上の苦行である。耐え忍ぶ者は常に勝者である」と。お釈迦様は生前、他国によってご自分の一族が滅ぼされるという経験をされました。目の前で一族が殺される苦しみを経験し、それを耐え忍んだのです。さぞお苦しみのことであったろう思います。しかし、その果てに「この世は無常である。無常なるものに追いすがってはならない。もし無常なるものに永遠を望むなら、それは決して叶うことはないのであるから、そこに苦しみが生じる」という真理に目覚めたのです。「最上の苦行」というお言葉が、絵空事ではなく現実であることを物語っています。

怒り、悲しみ、苦しみで心がいっぱいの時、これらの感情が通り過ぎて行くまで、結局は耐え忍ぶ以外にありません。しかし「倍返し」などと怒りや復讐の気持ちを持って耐えるのでは、人格がゆがんでしまいます。そうではなく、あなたの人格を向上させ、本当の幸せへと導く正しい耐え方というものがあるのです。それは、

規則正しい生活を心掛け、自分ではなく他人を喜ばせることに集中することです。そうしながら耐え忍ぶのです。

しかもこれらは、常に強い意識を持って強制的に行う必要があります。目先を自分から他人に移すことで、怒り、悲しみ、苦しみの心が薄らいでいきます。苦しんでいる自分に執着しすぎるから、いつまでも苦しみが消えないのです。他人に善行を施し喜ばせることで、最後には大きな幸せとなって自分に帰って来ます。善因楽果です。いつの間にか、苦しみは消え去り、無上の幸福感だけが残ります。これが正しい耐え方です。とても積極的で勇敢な態度です。

本当の幸せを得る方法として、仏教が「六波羅蜜(ろくはらみつ)」を説くのをご存じの方も多いでしょう。六波羅蜜の最初の三つは「布施・持戒・忍辱」です。布施は他人を喜ばせること。持戒は規則正しい生活をすること。忍辱は忍耐のことです。これらが先頭の三つに並んでいることの意味を考えてみてください。

忍耐は、幸せを得るための最上の方法ではありますが、苦行でもあります。耐え忍ぶこと、その上さらに善行を施すことはもっと苦しいことでしょう。お釈迦様が「最上の苦行」とまで仰ったのですから、そう思うのも当然です。それでも、お釈迦様のお墨付きがあるのですから、安心して苦しめば良いのです。あなたの忍耐が正しい耐え方なら、今は苦しいかもしれませんが、将来には必ず幸せが得られます。しかもその場だけの一時的な幸せではなく、あなたの一生を貫く本物の幸せです。「苦しくて仕方がない」という方、「どうすればいいのか分からない」という方は、ぜひ試してみてください。試したところで損をするということはありません。

ご相談は、
メール: mushou@shounji.or.jp
LINE ID: mushosan
ご連絡の際「ブログ記事〇〇を見た」と
書き添えていただけると幸いです。

posted by むしょうさん at 22:26| Comment(0) | 人生相談

2017年08月31日

圧巻!一切経版木6万枚

IMG_0699.JPG

京都に行ってきました。京都での楽しみは、お気に入りのお寺を訪れること。今回は、宇治にある黄檗山(おうばくさん)宝蔵院(ほうぞういん)です。ここは一切経の版木6万枚が収蔵されていることで有名です。仏教の教えのすべてを総称して「一切経」と呼んでいます。「一切経」という名の単独のお経があるわけではありません。『般若心経』も『法華経』も『華厳経』も『涅槃経』も「浄土三部経」もすべて「一切経」に含まれています。日本のすべての仏教宗派が読むお経がここにあるのです。

1669年、鉄眼(てつげん)禅師というお坊さまが、仏教国日本に「一切経」がないのを残念に思い、自ら発願し、版木の製作に取りかかりました。9年の歳月を要して完成させたのが、この、うずたかく積まれた版木たちです。これらは重要文化財ですが、驚いたことに、現在でも職人の手で刷られ、お経本として販売されています。

私たち僧侶にとっては「人生のすべて」とも言える一切経です。ですが、一生をかけても読破することはできないでしょう。教えを学び尽くせないのなら、せめて謙虚でありたいと思います。

一切経は、インターネットで全文を読むことができます。
ものすごいことですね。
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-bdk-sat2.php


タグ:お経を読む
posted by むしょうさん at 18:04| Comment(0) | 日記

2017年08月10日

『修証義』 第22節

「しゅしょうぎ」は、道元禅師(1200−1253)のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめ、仏さまの教えを易しく解説しています。皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業は私のライフワークになりつつあります。私の等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いです。

【現代語訳】
愛語(あいご)とは、穏やかで優しい言葉のことです。幼い子に接するように、「守ってあげたい」という気持ちを込めて語るのが愛語です。善いことをしたら褒めてこれを伸ばし、悪いことをしたら憐れみの心で教えます。自分と敵対する人の荒ぶる心を鎮め、争う人々を仲直りさせるのも愛語です。面と向かって愛語を聞けば、心躍るような嬉しい気持ちになります。また人づてに愛語を聞けば、その優しさに感動します。愛語には、不可能を可能にする力があることを学ばなければなりません。

【ミニ法話】
言葉は凶器です。争いの原因を作り、人を死に追いやります。平等の世界に差別を生み、相対の世界に絶対を生み、存在しないものを存在するかのように語ります。この意味で、言葉はろくでもないものと言えるかもしれません。私たちは、意識せずに言葉を凶器にしています。この「意識していない」というのが恐ろしいのです。知らない内に、人を傷つけ、恨みを買っています。意識していないということは、素の自分がすでに間違っているということです。そうであるなら、「素の自分」といった危ういものは一日も早く捨てて、「新しい自分」を育てなければなりません。それが、愛語を学ぶということです。経典には「愛語には天を動かす力がある」と書かれています。天を動かすのですから、心一つ動かして、新しい自分を育てることぐらい朝飯前です。素の自分に任せないで、愛語を超意識して、新しい自分を育てましょう。

タグ:お経を読む
posted by むしょうさん at 08:29| Comment(0) | 現代語訳『修証義』

2017年08月02日

比べる心

人が二人集まると、それぞれに自意識が生まれ、自分と相手とを比べる心が芽生えます。一人でいた時にはなかった心です。比べる心は良い時もあれば悪い時もあります。悪い時というのは、「上下・勝ち負け」という具合に、両者に価値の差をつけることです。反対に良い時というのは、「お互い様」というふうに両者の価値を等しく見ることです。前者は、喜びと苦しみの繰り返しで、落ち着きなく、心は乱れ、疲れ果てます。後者は、感情の起伏が抑えられ、いつも穏やかでいられます。

私たちは常に比べていますし、また比べられてもいます。人が集まって暮らしている以上、この関係が消えることはありません。そうであるなら、この関係の中にあっても、変わらず幸せでいられるような心のあり方を探すべきなのです。

人は必ず死ぬものです。80年もたてば誰でも死にます。先を争ったところで何になるでしょう。すべての人が等しく「死」という同じ運命を持っているのに、「上下・勝ち負け」といった差をつけて、それがいったい何になりますか。上にいる人は、下に落ちないか不安で仕方がありません。勝っている人は、負けることが不安で仕方がありません。本当の幸せなど手にしていないのです。

誰でも死ぬのなら、それはまさに「お互い様」というものです。「自分も人も同じだ」と思えば、褒められても踊らず、けなされても沈まない心が育ちます。これが、変わらない本当の幸せというものです。河野進の詩をご紹介しましょう。

争って先きがけするより
途中もみんなと仲よく行きたい
どうせ海に落ちつくのだ
あくせくせずに
悠々と参ろう

posted by むしょうさん at 07:53| Comment(0) | 人生相談

2017年07月31日

読者の皆さまへ

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。先日、励ましのメールを頂戴しました。とてもありがたく読ませていただきました。メールの中で「新しい記事を楽しみにしています」と仰ってくださっているのに、私は最近、新しい記事を出せずにいます。

書きかけの記事はあるのですが、なかなか筆が進みません。それは、書いても書いても結局ボツにしてしまうからです。皆さまから寄せられるお悩みがより深刻化しているからではないかと思います。このブログは、実際にご相談があった内容をもとにしております。その時、私がお答えした内容に、「仏教ではどう考えるのか」という説明を加えて公開しています。ご相談が深刻であればあるほど、この作業が難しくなるのです。公開するからには、私見ではなく「正しい教え」をお伝えしたいと思っております。お待たせして申しわけありませんが、少々お時間をいただければと思います。

このブログとは違い、気軽な思いで日常を綴ったツイッターも公開しています。ブログが更新されるまでの間、こちらもご覧いただければ幸いです。

Twitter「むしょうさん」
https://twitter.com/mushosan

posted by むしょうさん at 11:54| Comment(0) | お知らせ

2017年07月10日

問い: 信頼していた人に裏切られました

答え: あなたのターニングポイントです。慎重に考えて下さい。

人が人を裏切る時にはどんな事情があるでしょうか。考えられることは二つです。 まず第一に、相手の方があなたとの関係よりも自分の利益を優先した場合です。程度の差こそあれ、人は誰でもエゴ(自己中心性)を持っています。人のことよりも自分のことを先に考えようとする悪い習性です。智慧のある人はエゴを上手にコントロールして、人にも自分にも嫌な思いをさせないようにバランスをとっていますが、愚かな人は、人に嫌な思いをさせてもそれに気づかないか、もしくは気にしません。目の前の利益に心奪われ、「人は人を大切にすることで幸せを得る」という事実を見落としてしまうのです。このような人に対しては、あなたがその行為を許すことで、その人が放つ悪い波動の支配から脱出するしかありません。相手に「私が嫌な思いをしないように、あなたが変わってください」と要求しても、聞き入れられることはまずありません。「裏切られた。嫌な思いをさせられた」と思い続けることは、いつまでも相手の支配下にあるようなもので、あなたは貴重な時間を浪費して損をするばかりです。あなたが許せば、その瞬間に相手の支配から抜け出て、自分を取り戻すことができます。許しはしますが、以後は明確に距離を置くことです。信頼に足る人ではないからです。相手が改心しない限り、元に戻ることはありません。

第二に、人に裏切られるような原因をあなたが作っていた場合です。人が人を裏切るというのは余程のことです。本来、人間は協調する生き物です。それに反するからには相応の理由があると思わねばなりません。あなたは気付いていませんが、もう何ヶ月も何年も何十年も、相手の心を傷付けていたのです。あなたは信頼していたのかもしれませんが、相手はあなたに積年の怨みがあるのです。まるで喜劇のようです。あなたは、自分に原因があることも知らずに、相手の裏切り行為をなじっています。そのようなことをしていると、やがて、家族も友人もあなたから去り、最期は一人ぼっちになってしまいます。あなたに必要なのは「自分の悪い部分を分析する努力」と「過ちを素直に認め、頭を下げて謝る勇気」です。普段、自分は悪くないと思っている人は、自己弁護が巧みです。口数が多いのも特徴です。分析する力を養うためには、まず多弁をやめることです。相手の言動にすぐに反応しないこと。その場は「少し考えさせて下さい」と言ってやり過ごします。よく考えた上で、反応すべきは反応し、そうでないものは忘れてしまうことです。

人はいつでもやり直すことができます。自分に問題があると分ったら、ドラマチックに変わることです。人は誰でも「お互い様」です。過ちを認めて素直に謝る人を見ると、誰でも許したい気持ちになります。自分にも身に覚えがあるからです。協調は人間関係の自然な姿です。誰もが協調を望んでいます。わざわざ自分だけ孤立するような生き方を選ぶ必要はありません。

ーーーーーーーーーーーーーー
先日、電話相談をされた女性へ
不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。わざわざお電話をくださったのに、お話を最後までお聴きすることができませんでした。失礼を深くお詫びします。電話の冒頭で「同僚に裏切られた」というお話をされておられましたので、わたくしの思うところを書かせていただきました。何かのお役に立てば幸いです。
ーーーーーーーーーーーーーー

ご相談は、
メール: mushou@shounji.or.jp
LINE ID: mushosan
ご連絡の際「ブログ記事〇〇を見た」と
書き添えていただけると幸いです。

posted by むしょうさん at 09:03| Comment(0) | 人生相談

2017年06月29日

『修証義』 第21節

「しゅしょうぎ」は、道元禅師(1200−1253)のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめ、仏さまの教えを易しく解説しています。皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業は私のライフワークになりつつあります。私の等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いです。

【現代語訳】
人を喜ばせ、幸せにする方法に四つあります。@布施(ふせ) A愛語(あいご) B利行(りぎょう) C同事(どうじ)です。これらは、お釈迦さまの智慧であり、利他を誓った私たちの約束でもあります。布施とは、物でも心でも惜しみなく人に与えることです。別の言い方をすれば、「欲しがらない」ということでもあります。本来、物も心も実体はありません。すべては因縁によって生じ、因縁によって消滅するだけで、一定ではなく常に変化しています。ですから「私の物」「私の心」といった固定した存在はありません。そうしたものに執着する必要はないのです。また、与えるものの価値は問題ではありません。人を喜ばせ幸せにしたいという思いがあれば、それで良いのです。たった一語の言葉でも、ひとつまみの草でも構いません。見返りを求めずに、あなたが与えられるものを与えることです。商売にはお金が付きものです。しかし自分が生きる糧以上に欲しがらず、人を思いやる心があるなら、商売もまた立派な布施と言えるのです。

【ミニ法話】
 布施(ふせ)は仏道修行の根本です。修行ができているかどうかは、布施ができているかどうかです。惜しみなく人に与えるには、なるべく持ちものを持たず、身の回りを質素にしておくことです。全部投げ捨てて、すっからかんな人は、物に執着することがないので、惜しむことなく与えることができます。反対に持ちものが多い人ほど執着心が強いので、与えることが難しくなります。
 私は、これまで色々なものを捨てて来ましたが、現に「住職心得」という地位を持っています。いずれは「住職」という地位を持つことになります。これは、信者様がその肩書を信頼してくださるという意味では役に立ちますが、それ以外では、私の執着心を増長させる危険なものです。俗世間に生きて、当たり前のようにお金や物や地位に囲まれて生活する人々が執着心を捨てることは難しく、よほどの自覚がなければ布施もまた難しくなります。

タグ:お経を読む
posted by むしょうさん at 07:21| Comment(0) | 現代語訳『修証義』