2017年08月10日

『修証義』 第22節

「しゅしょうぎ」は、道元禅師(1200−1253)のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめ、仏さまの教えを易しく解説しています。皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業は私のライフワークになりつつあります。私の等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いです。

【現代語訳】
愛語(あいご)とは、穏やかで優しい言葉のことです。幼い子に接するように、「守ってあげたい」という気持ちを込めて語るのが愛語です。善いことをしたら褒めてこれを伸ばし、悪いことをしたら憐れみの心で教えます。自分と敵対する人の荒ぶる心を鎮め、争う人々を仲直りさせるのも愛語です。面と向かって愛語を聞けば、心躍るような嬉しい気持ちになります。また人づてに愛語を聞けば、その優しさに感動します。愛語には、不可能を可能にする力があることを学ばなければなりません。

【ミニ法話】
言葉は凶器です。争いの原因を作り、人を死に追いやります。平等の世界に差別を生み、相対の世界に絶対を生み、存在しないものを存在するかのように語ります。この意味で、言葉はろくでもないものと言えるかもしれません。私たちは、意識せずに言葉を凶器にしています。この「意識していない」というのが恐ろしいのです。知らない内に、人を傷つけ、恨みを買っています。意識していないということは、素の自分がすでに間違っているということです。そうであるなら、「素の自分」といった危ういものは一日も早く捨てて、「新しい自分」を育てなければなりません。それが、愛語を学ぶということです。経典には「愛語には天を動かす力がある」と書かれています。天を動かすのですから、心一つ動かして、新しい自分を育てることぐらい朝飯前です。素の自分に任せないで、愛語を超意識して、新しい自分を育てましょう。

タグ:お経を読む
posted by むしょうさん at 08:29| Comment(0) | 現代語訳『修証義』

2017年08月02日

比べる心

人が二人集まると、それぞれに自意識が生まれ、自分と相手とを比べる心が芽生えます。一人でいた時にはなかった心です。比べる心は良い時もあれば悪い時もあります。悪い時というのは、「上下・勝ち負け」という具合に、両者に価値の差をつけることです。反対に良い時というのは、「お互い様」というふうに両者の価値を等しく見ることです。前者は、喜びと苦しみの繰り返しで、落ち着きなく、心は乱れ、疲れ果てます。後者は、感情の起伏が抑えられ、いつも穏やかでいられます。

私たちは常に比べていますし、また比べられてもいます。人が集まって暮らしている以上、この関係が消えることはありません。そうであるなら、この関係の中にあっても、変わらず幸せでいられるような心のあり方を探すべきなのです。

人は必ず死ぬものです。80年もたてば誰でも死にます。先を争ったところで何になるでしょう。すべての人が等しく「死」という同じ運命を持っているのに、「上下・勝ち負け」といった差をつけて、それがいったい何になりますか。上にいる人は、下に落ちないか不安で仕方がありません。勝っている人は、負けることが不安で仕方がありません。本当の幸せなど手にしていないのです。

誰でも死ぬのなら、それはまさに「お互い様」というものです。「自分も人も同じだ」と思えば、褒められても踊らず、けなされても沈まない心が育ちます。これが、変わらない本当の幸せというものです。河野進の詩をご紹介しましょう。

争って先きがけするより
途中もみんなと仲よく行きたい
どうせ海に落ちつくのだ
あくせくせずに
悠々と参ろう

posted by むしょうさん at 07:53| Comment(0) | 人生相談

2017年07月31日

読者の皆さまへ

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。先日、励ましのメールを頂戴しました。とてもありがたく読ませていただきました。メールの中で「新しい記事を楽しみにしています」と仰ってくださっているのに、私は最近、新しい記事を出せずにいます。

書きかけの記事はあるのですが、なかなか筆が進みません。それは、書いても書いても結局ボツにしてしまうからです。皆さまから寄せられるお悩みがより深刻化しているからではないかと思います。このブログは、実際にご相談があった内容をもとにしております。その時、私がお答えした内容に、「仏教ではどう考えるのか」という説明を加えて公開しています。ご相談が深刻であればあるほど、この作業が難しくなるのです。公開するからには、私見ではなく「正しい教え」をお伝えしたいと思っております。お待たせして申しわけありませんが、少々お時間をいただければと思います。

このブログとは違い、気軽な思いで日常を綴ったツイッターも公開しています。ブログが更新されるまでの間、こちらもご覧いただければ幸いです。

Twitter「むしょうさん」
https://twitter.com/mushosan

posted by むしょうさん at 11:54| Comment(0) | お知らせ

2017年07月10日

問い: 信頼していた人に裏切られました

答え: あなたのターニングポイントです。慎重に考えて下さい。

人が人を裏切る時にはどんな事情があるでしょうか。考えられることは二つです。 まず第一に、相手の方があなたとの関係よりも自分の利益を優先した場合です。程度の差こそあれ、人は誰でもエゴ(自己中心性)を持っています。人のことよりも自分のことを先に考えようとする悪い習性です。智慧のある人はエゴを上手にコントロールして、人にも自分にも嫌な思いをさせないようにバランスをとっていますが、愚かな人は、人に嫌な思いをさせてもそれに気づかないか、もしくは気にしません。目の前の利益に心奪われ、「人は人を大切にすることで幸せを得る」という事実を見落としてしまうのです。このような人に対しては、あなたがその行為を許すことで、その人が放つ悪い波動の支配から脱出するしかありません。相手に「私が嫌な思いをしないように、あなたが変わってください」と要求しても、聞き入れられることはまずありません。「裏切られた。嫌な思いをさせられた」と思い続けることは、いつまでも相手の支配下にあるようなもので、あなたは貴重な時間を浪費して損をするばかりです。あなたが許せば、その瞬間に相手の支配から抜け出て、自分を取り戻すことができます。許しはしますが、以後は明確に距離を置くことです。信頼に足る人ではないからです。相手が改心しない限り、元に戻ることはありません。

第二に、人に裏切られるような原因をあなたが作っていた場合です。人が人を裏切るというのは余程のことです。本来、人間は協調する生き物です。それに反するからには相応の理由があると思わねばなりません。あなたは気付いていませんが、もう何ヶ月も何年も何十年も、相手の心を傷付けていたのです。あなたは信頼していたのかもしれませんが、相手はあなたに積年の怨みがあるのです。まるで喜劇のようです。あなたは、自分に原因があることも知らずに、相手の裏切り行為をなじっています。そのようなことをしていると、やがて、家族も友人もあなたから去り、最期は一人ぼっちになってしまいます。あなたに必要なのは「自分の悪い部分を分析する努力」と「過ちを素直に認め、頭を下げて謝る勇気」です。普段、自分は悪くないと思っている人は、自己弁護が巧みです。口数が多いのも特徴です。分析する力を養うためには、まず多弁をやめることです。相手の言動にすぐに反応しないこと。その場は「少し考えさせて下さい」と言ってやり過ごします。よく考えた上で、反応すべきは反応し、そうでないものは忘れてしまうことです。

人はいつでもやり直すことができます。自分に問題があると分ったら、ドラマチックに変わることです。人は誰でも「お互い様」です。過ちを認めて素直に謝る人を見ると、誰でも許したい気持ちになります。自分にも身に覚えがあるからです。協調は人間関係の自然な姿です。誰もが協調を望んでいます。わざわざ自分だけ孤立するような生き方を選ぶ必要はありません。

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先日、電話相談をされた女性へ
不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。わざわざお電話をくださったのに、お話を最後までお聴きすることができませんでした。失礼を深くお詫びします。電話の冒頭で「同僚に裏切られた」というお話をされておられましたので、わたくしの思うところを書かせていただきました。何かのお役に立てば幸いです。
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ご相談は、
メール: mushou@shounji.or.jp
LINE ID: mushosan
ご連絡の際「ブログ記事〇〇を見た」と
書き添えていただけると幸いです。

posted by むしょうさん at 09:03| Comment(0) | 人生相談

2017年06月29日

『修証義』 第21節

「しゅしょうぎ」は、道元禅師(1200−1253)のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめ、仏さまの教えを易しく解説しています。皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業は私のライフワークになりつつあります。私の等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いです。

【現代語訳】
人を喜ばせ、幸せにする方法に四つあります。@布施(ふせ) A愛語(あいご) B利行(りぎょう) C同事(どうじ)です。これらは、お釈迦さまの智慧であり、利他を誓った私たちの約束でもあります。布施とは、物でも心でも惜しみなく人に与えることです。別の言い方をすれば、「欲しがらない」ということでもあります。本来、物も心も実体はありません。すべては因縁によって生じ、因縁によって消滅するだけで、一定ではなく常に変化しています。ですから「私の物」「私の心」といった固定した存在はありません。そうしたものに執着する必要はないのです。また、与えるものの価値は問題ではありません。人を喜ばせ幸せにしたいという思いがあれば、それで良いのです。たった一語の言葉でも、ひとつまみの草でも構いません。見返りを求めずに、あなたが与えられるものを与えることです。商売にはお金が付きものです。しかし自分が生きる糧以上に欲しがらず、人を思いやる心があるなら、商売もまた立派な布施と言えるのです。

【ミニ法話】
 布施(ふせ)は仏道修行の根本です。修行ができているかどうかは、布施ができているかどうかです。惜しみなく人に与えるには、なるべく持ちものを持たず、身の回りを質素にしておくことです。全部投げ捨てて、すっからかんな人は、物に執着することがないので、惜しむことなく与えることができます。反対に持ちものが多い人ほど執着心が強いので、与えることが難しくなります。
 私は、これまで色々なものを捨てて来ましたが、現に「住職心得」という地位を持っています。いずれは「住職」という地位を持つことになります。これは、信者様がその肩書を信頼してくださるという意味では役に立ちますが、それ以外では、私の執着心を増長させる危険なものです。俗世間に生きて、当たり前のようにお金や物や地位に囲まれて生活する人々が執着心を捨てることは難しく、よほどの自覚がなければ布施もまた難しくなります。

タグ:お経を読む
posted by むしょうさん at 07:21| Comment(0) | 現代語訳『修証義』

2017年06月25日

問い:追善供養って何ですか?

答え:故人が成仏できるように応援することです。

人が亡くなるとお葬式をします。お葬式とは、故人を仏様の弟子にする儀式です。弟子になって初めて、修行して自分自身も仏になる資格を得るのです。お葬式によって、故人は仏になる(成仏する)資格を得ますが、まだ成仏したわけではありません。これから四十九日間をかけて修行(善い行いを)するのです。しかし修行したからといって必ず成仏できるとは限りません。生前、悪い行いが多かった人は、死後も苦の報いを受けることになります。生前の悪行が死後の善行を上回っている時には、閻魔さまの判断で四十九日目に地獄に連行されることもあります。成仏はさせてもらえず、再びこの世に戻されることもあります。

人は誰でも例外なく悪い行い、すなわち命あるものを殺し、嘘を言い、怒りで人を傷つけています。人は一生のうちに数え切れないほどの悪い行いをしているのです。だからこそ、成仏するためには、生前の悪行を上回る善行を積まなければならないというわけです。しかし、故人の修行(善行)だけでは足りないかもしれません。そこで故人の善行に、遺族の善行を追加して、何としても故人に成仏していただくという供養の方法が生まれました。それが追善供養です。「追加の善行」ですから「追善」と言うのです。

では、遺族の善行とは何でしょうか。「故人が成仏できますように」と祈ることだけではありません。もっと現実的な善行です。故人とは無関係でもいいのです。笑顔で人に「おはよう」と挨拶したり、お母さんの家事を手伝ったり、友達の悩みを聞いてあげたりです。自分以外の人が喜んでくれることなら何でも良いのです。あなたが行なった善行の功徳は、故人の成仏を助けることになります。

49日間は意識して善いことをするように、人を喜ばせるようにします。追善供養は、故人を成仏させることの他にもう一つ効果があります。それは、大切な人を亡くしたあなたの悲しみを癒やすことです。仏様は言います。「心の痛みを消し去る方法はただ一つ。人を幸せにすることである」と。故人の成仏を助け、あなたの心の痛みも癒やす、この一石二鳥とも言える功徳を持つのが追善供養なのです。

posted by むしょうさん at 09:56| Comment(0) | 人生相談

2017年06月19日

ツイッター始めました

正雲寺のこと、プライベートなことなどをツイートします。ホームページやブログとは違って、もっともっと気楽な感じでつぶやいていきます。昨日始めたばかりです。ぜひぜひフォローをお願いします!
https://twitter.com/mushosan


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2017年06月17日

自慢しない!悪口言わない!


人は誰でも心の奥底に自己中心性を持っています。エゴと呼ばれるものです。仏教では末那識(まなしき)と言ったりします。このエゴが時々悪さをします。

人に自慢話をすること。「どう?私ってすごいでしょ?」と言われて、心から素直に「うん、すごいね」と答えられる人は多くありません。大抵の人は心の中で「自慢なんかして、嫌な感じ」と思っています。なぜ多くの人が嫌がるようなことを言うのでしょうか。答えは簡単。自慢話をする人は、多くの人が嫌がっているという事実を認めたがらないからです。本当は、自分も、人の自慢話を聞くのは嫌なはずなのに…。分かっているのに事実を認めない。それだけエゴが強いのです。

人の悪口を言うこと。良くないことだと分かっているのに、悪口を言ったり批判したりします。それが嬉しいからです。悪口を言う人も、それを聞く人も「自分はもっとマシな人間だ」とどこかで思っています。自分が優位に立ったような気持ちになります。自分も誰かに悪口を言われているという事実は認めようとしません。これもエゴが強いからです。

こういうことを繰り返していると、人間関係は表面的な付き合いだけになってしまいます。どこにも信頼関係は生まれません。自慢話はしない。人の悪口は言わない。簡単に出来そうなのに、なかなか出来ないのは、あなたのエゴが強すぎるからです。エゴは恐ろしいです。自分の人生だけでなく、人の人生まで破壊します。自慢しそうになったら、悪口を言いそうになったら、すぐに口にチャックをしましょう。それは、あなたがエゴの暴走を一所懸命に食い止めている証拠です。そういう努力をする人は、他人のことを大切に思っている人です。そいう人は、他人からも大切にされます。そこから信頼関係や愛が育っていくのです。

posted by むしょうさん at 07:57| Comment(0) | 人生相談

2017年06月12日

正雲寺のカエルたち

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正雲寺のアオガエルたちは、今年も元気に活動再開です。「きれいな姿だな〜」って思います。お寺は殺生禁止の聖域ですから、彼らものびのびと生活しているんでしょうね。これから夏に向けて、多くの野生動物たちが集まってくることでしょう。楽しみです。写真をクリックして拡大して見てくださいね。

posted by むしょうさん at 08:27| Comment(0) | 日記

2017年05月18日

日曜坐禅のご案内

2017年の日曜坐禅は、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想を行います。聞き慣れない方もいらっしゃることでしょう。これはお釈迦様の時代から実践されている仏教伝統の瞑想法です。難しいことは何もありませんのでご安心ください。前半は座る瞑想(サマタ瞑想)です。座りながらある文章を読み続けることで気持ちを落ち着かせます。後半は立つ瞑想(ヴィパッサナー瞑想)です。立つこと自体を一つ一つ自分で実況中継します。自分の動作にだけ集中して、他の雑念を取り払います。実際に、それが皆さまの心にどのように作用するかは、体験してのお楽しみです!

次回開催は、6月11日です。6月から12月までの毎月第2日曜日、午前9時30分より正雲寺会津本山の坐禅堂にて開催いたします。参加費は500円。小学生以下のお子様は無料です。

ご予約は、
0242-28-1110
info@shounji.or.jp
までお願いいたします。

posted by むしょうさん at 12:21| Comment(0) | お知らせ