2017年12月01日

めいちゃん

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大分別院でひっそりと暮らすめい(命)ちゃん。とてもシャイな性格で、部屋からは決して出ようとしません。机で作業をしていると、小さな顔をスリスリ寄せてきます。「ミャ〜」と自己主張することはなく、ただ控えめに「ミン」となきます。古参和尚の良き友です。
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2017年11月30日

『修証義』 第24節

「しゅしょうぎ」は、道元禅師(1200−1253)のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめ、仏さまの教えを易しく解説しています。皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業は私のライフワークになりつつあります。私の等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いです。

【現代語訳】
同事(どうじ)とは、自分に背かず、人にも背かないということです。それは、お釈迦様が自ら進んで人々の暮らしに入って行ったようにです。またある時は、人々をこちらに引き寄せてから、法によって正しい生き方へと導くこともあったでしょう。自分からか、または人からか、同事の前に区別はありません。海が川の水を拒まないのは同事です。〔海は川の水をすべて飲み込みます。そして川の水をことごとく海水に変えてしまうのです。海は海の心を保ったまま、海としての徳をあらゆる生命に与えます〕。だからこそ海にすべての水が集まるのです。

【法話】
水は容れ物の形にあわせて四角にも丸に形を変えます。これが相手に背かないということです。しかし水はどのように形を変えたとしても、その水面は必ず水平を保っています。自分の核となる部分は決して変わらない、これが自分に背かないということです。この水のあり方が同事です。では私たち人間の核とは何でしょうか。それは「何にも偏(かたよ)らない心」です。別の言い方をすれば、「執着しない心」「平等」と言ってもいいでしょう。ところが世間では、偏ることが堂々とまかり通っています。そして、その偏りがすべての苦しみの原因だと誰も気が付きません。もし宗教や思想に偏れば、反対の立場をとる人々が必ず現れて敵対関係を生みます。もし愛に偏れば、それを失う不安や苦しみと同時に他者への差別の心を生みます。同事とは、私も彼も、これもあれも差別しない心です。私たちは皆個性の違う一滴の水です。そんな私たちを海は平等の徳で漏らさず受け入れています。これが同事の姿なのです。


タグ:お経を読む
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2017年11月06日

八正道 その二【正思惟】

八正道(はっしょうどう)は、お釈迦様が説いた「苦しみを止滅させるための八つの方法」です。「正しい道」とは、本来「さとりの智慧を得る方法」という意味ですが、今は「他人を幸せへと導く方法」と理解する方が分かりやすいかもしれません。利他の生き方こそ、苦しみから解放されて自らを利する生き方だからです。正しくあるためには「自分の思い通りにしたい」という自己中心的な考えや態度、つまりエゴを減らす努力が大切だと最初の【正見】で教えています。


【正思惟(しょうしゆい)】〜正しく決意する〜
私たちは「原因があって、結果がある」という因果の法則の中で生きています。何もないところから突如として結果が現れることはありません。「幸せになりたい」と最初に思うからこそ、幸せになる努力を惜しまず、結果として幸せを手に入れるのです。もしあなたが苦しみのない人生を望むなら、その結果へと導く原因を最初に作らなければなりません。それが「正しい決意」です。では、何を決意するのでしょう。苦しみを生むのはいつもエゴです。自分の幸せだけを優先して、他人の幸せには無関心なのがエゴです。だから今の苦しみがあるのです。それならば、これと反対のことをすれば苦しみはなくなります。つまり「自分の幸せを後回しにして、他人の幸せに関心を寄せる」ということです。これが正しい決意です。

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2017年11月02日

ゆふちゃん

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会津本山にいるただ一匹の猫、ゆふちゃんです。ゆふちゃんは人見知りで出不精。奥の部屋でひっそりと気ままに暮らしています。時々、仏殿を一回りして、小さな声で「ニャン」。しかし天井裏のネズミを撃退するほどの迫力は全然ないのでした(泣)。今日も一日ストーブの上でリラ〜ックス。
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2017年10月28日

八正道 その一【正見】

八正道(はっしょうどう)は、お釈迦様が最初期に説いた「苦しみを止滅させるための八つの方法」です。「正しい道」とは、本来「さとりの智慧を得る方法」という意味ですが、今は「他人を幸せへと導く方法」と理解する方が分かりやすいかと思います。利他の生き方こそ、苦しみから解放されて自らを利する生き方なのです。正しくあるためには「自分の思い通りにしたい」という自己中心的な考えや態度、つまりエゴを減らす努力が大切だと【正見】は教えています。すべては【正見】から始まります。

【正見(しょうけん)】〜正しく見る〜
苦しい時は、その苦しみの原因を正しく見ます。すべての苦しみは「自分の思い通りにしたいのに、そうはならない」ことへの怒りの心から生じます。つまり、自己中心的な欲求が原因です。苦しみが生じたとき、それを引き起こしているのは自分自身だと冷静に観察するのです。しかし、例えば、大切な人を病気で亡くした時に抱く苦しみは、自分で引き起こした苦しみと言えるでしょうか。一見すると、原因を作ったのは病気であり、自分ではないと思うかもしれません。しかし、これも、よく観察すれば分かることです。病気が原因であることに間違いはありませんが、もっと直接の原因は「いつまでも側にいて欲しかったのに、そうはならなかった」という失望です。そしてこの失望もエゴの一つなのです。私たちは、外に原因を探すことに慣れすぎていて、最も身近な自分の心を観察できていないのです。正見とは、苦しみが生じたときに、その根本の原因は自分のエゴにあると観察することです。

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2017年10月22日

四つの真理

お釈迦様が悟りをお開きになってから、初めてお説きになった教えが「四つの真理」です。これを「四諦(したい)」と呼んでいます。仏教の根幹をなす教えです。

【第一の真理】
人の一生は苦しみの連続である。

【第二の真理】
苦しみの原因は「思い通りにしようとする心」である。

【第三の真理】
苦しみは止滅できる。

【第四の真理】
苦しみを止滅する方法は「八つの正しい道」である。

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2017年10月13日

問い:50過ぎです。乱暴に生きてきました。やり直せますか?

答え:やり直せます。

ただし、これが最後のチャンスです。しっかりと覚悟してください。人に暴力をふるい、多くの人を傷つけ、自分勝手に生きてきたあなたです。40年もの間、ため続けた心の汚れを取り除くのは簡単ではありません。3年はかかります。

あなたの修行は「我慢」です。何があっても我慢をしてください。すべてを我慢してください。相手を選んではいけません。唇を噛んで血がにじんでも、決して口を開けて言い返してはいけません。これからあなたは、人からののしられたり、殴られたりするでしょう。それでも黙って我慢してください。そして毎日一つだけ、一つだけで構いませんから、人が喜ぶことをしてください。大変な苦行ですが、もしあなたが必死に励むなら、3年で結果が出ます。

人からののしられたり、殴られたりするのは、あなたがこれまで行ってきた悪に対する苦の報いです。これを「悪因苦果」と言います。悪いことをすれば、必ず苦しみが報いとなって自分に帰ってくるという意味です。報いは抵抗せずに受け入れなければなりません。もし報いに抵抗すれば、それがまた悪となって、さらなる苦の報いを作ります。愚かな人は、そうとも知らずに抵抗し続けるので、悪因苦果を一生繰り返すのです。どこかで報いを清算しなければなりません。あなたは3年をかけて報いを清算し、新たに悪因苦果を作らないように修行するのです。これが「我慢」です。仏教では「忍辱(にんにく)」と呼び、この上なく苦しい修行だと教えています。

お釈迦さまの時代、アングリマーラという名の殺人鬼がいました。100人を殺せば悟りを開けるという間違った教えを信じて、殺人を繰り返していました。すでに99人を殺し、最後の一人としてお釈迦さまに刃を向けたのです。お釈迦さまはアングリマーラと静かに向き合い「そのようなことをしても悟りは開けないこと、殺さないことによってのみ悟りが開けるのだ」と教えました。アングリマーラは即座に改心をし、仏弟子として生きることを誓います。しかし、これまでの悪行に対する報いが消えることはなく、町に托鉢に出れば、人々から「殺人鬼がやってきた」と叫ばれて石を投げつけられ、つばを吐かれ、引きずり回されたのでした。それが来る日も来る日も続きました。見かねた他の仏弟子たちがお釈迦さまに言いました。「アングリマーラは血だらけです。あれでは命がもちません。どうか托鉢を止めさせてください」と。しかしお釈迦さまは言いました。「アングリマーラは自分の過去の悪行の報いを今受けているのだ。アングリマーラは耐えねばならない」と。そうしてアングリマーラは何年も耐え抜き、ついに悟りを得て、「アヒンサー(不殺生の人)」と呼ばれるまでになったということです。

アングリマーラはあなたです。アングリマーラと同じ覚悟をもって、耐え抜いてください。耐え抜いた先には必ず幸せが待っています。最後にお釈迦さまのお言葉をあなたにお贈りします。

「以前には悪い行いをした人でも、
のちに善によってつぐなうならば、
その人はこの世の中を照らす光となる」


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2017年10月07日

ドンちゃんとサンちゃん


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会津本山には、屋外のワンコの他に、室内にもワンコとニャンコがいます。奥のミニチュアダックスが「サンちゃん」で、手前のマルチーズが「ドンちゃん」です。正雲寺のアイドル犬です。でも本人たちは「お坊さんたちをしっかり守る!」という重大な任務を負って、日々家の中をトコトコパトロールしています。めんこい二人です。

posted by むしょうさん at 14:08| Comment(0) | 日記

2017年09月26日

『修証義』 第23節

「しゅしょうぎ」は、道元禅師(1200−1253)のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめ、仏さまの教えを易しく解説しています。皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業は私のライフワークになりつつあります。私の等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いです。

【現代語訳】
利行(りぎょう)とは、人を選ばず、見返りを求めずに助けることです。愚かな人ほど、人の利益を優先すると自分の利益が減ってしまうなどと考えます。そうではありません。利行というのは、自分とか他人とかの区別を超えた真理なのです。どちらか一方だけということはありません。どちらにも平等に利益があるのです。

【ミニ法話】
これは本当に、胆に銘じておきたい道元禅師のお言葉です。私たちは何か善いことをする時、心のどこかで、見返りを求めたり、損得計算をします。人のために何かをすると、自分が犠牲になったり、損をすると思ってしまいます。しかしそれは間違いです。例え表面的には自分が犠牲になっているように見えても、損をしているように見えても、本当はそうではなく、結局は自分が幸せになるための努力なのです。ボランティア活動が良い例です。ボランティア経験者は誰もが口を揃えて言います。「困っている人に喜んでもらいたいと思ってボランティアに参加したけれど、私はそれ以上の喜びを彼らからいただきました」と。お金も時間も犠牲にした人々ですが、それらを補って余りある喜びを得たのです。利行は、どちらか一方ではなく、どちらにも幸せをもたらします。この理屈が分かっていれば、善いことをするのに、ためらいはなくなります。

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2017年09月17日

問い:苦しい時はどうすればいいですか?

答え:耐え忍ぶことです。

こう答えると、「何てバカなことを言うんだ!」と叱られるかもしれませんね。「忍耐(耐え忍ぶこと)」が嫌われるのは、あきらめムードが漂っているからでしょう。勝敗や優劣で人を測る世間では、忍耐が弱者がとる態度のように見られてしまいます。消極的で弱腰のイメージがあるのです。

しかしお釈迦様の見方は世間とは全く違います。お釈迦様は仰います。「忍耐は、人を幸せへと導く最上の苦行である。耐え忍ぶ者は常に勝者である」と。お釈迦様は生前、他国によってご自分の一族が滅ぼされるという経験をされました。目の前で一族が殺される苦しみを経験し、それを耐え忍んだのです。さぞお苦しみのことであったろう思います。しかし、その果てに「この世は無常である。無常なるものに追いすがってはならない。もし無常なるものに永遠を望むなら、それは決して叶うことはないのであるから、そこに苦しみが生じる」という真理に目覚めたのです。「最上の苦行」というお言葉が、絵空事ではなく現実であることを物語っています。

怒り、悲しみ、苦しみで心がいっぱいの時、これらの感情が通り過ぎて行くまで、結局は耐え忍ぶ以外にありません。しかし「倍返し」などと怒りや復讐の気持ちを持って耐えるのでは、人格がゆがんでしまいます。そうではなく、あなたの人格を向上させ、本当の幸せへと導く正しい耐え方というものがあるのです。それは、

規則正しい生活を心掛け、自分ではなく他人を喜ばせることに集中することです。そうしながら耐え忍ぶのです。

しかもこれらは、常に強い意識を持って強制的に行う必要があります。目先を自分から他人に移すことで、怒り、悲しみ、苦しみの心が薄らいでいきます。苦しんでいる自分に執着しすぎるから、いつまでも苦しみが消えないのです。他人に善行を施し喜ばせることで、最後には大きな幸せとなって自分に帰って来ます。善因楽果です。いつの間にか、苦しみは消え去り、無上の幸福感だけが残ります。これが正しい耐え方です。とても積極的で勇敢な態度です。

本当の幸せを得る方法として、仏教が「六波羅蜜(ろくはらみつ)」を説くのをご存じの方も多いでしょう。六波羅蜜の最初の三つは「布施・持戒・忍辱」です。布施は他人を喜ばせること。持戒は規則正しい生活をすること。忍辱は忍耐のことです。これらが先頭の三つに並んでいることの意味を考えてみてください。

忍耐は、幸せを得るための最上の方法ではありますが、苦行でもあります。耐え忍ぶこと、その上さらに善行を施すことはもっと苦しいことでしょう。お釈迦様が「最上の苦行」とまで仰ったのですから、そう思うのも当然です。それでも、お釈迦様のお墨付きがあるのですから、安心して苦しめば良いのです。あなたの忍耐が正しい耐え方なら、今は苦しいかもしれませんが、将来には必ず幸せが得られます。しかもその場だけの一時的な幸せではなく、あなたの一生を貫く本物の幸せです。「苦しくて仕方がない」という方、「どうすればいいのか分からない」という方は、ぜひ試してみてください。試したところで損をするということはありません。

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