2016年08月29日

問い:人から「礼儀がない」と言われました。

答え:意識してファーストワードを使いましょう。

人から「元気ですか」と尋ねられた時、あなたはどう応えますか。ただ「元気です」とだけ応える人は、これからは「おかげさまで」を先に言うようにしましょう。理屈っぽい人は「何のおかげですか」と聞いて来るかもしれませんね。何のおかげでもいいのです。「おかげさまで」は、「私が今元気なのは私一人の力でなはく、多くの人に支えられているおかげです」という気持ちの現れです。それは神さまや仏さまのおかげかもしれません。いずれにせよ、あなたが目に見えないものを大切する人、自分以外の人に敬意をはらう人だという証しです。そういう人を「人格者」と言います。

人から「体調がすぐれない」と打ち明けられた時、あなたはどうしますか。「〇〇薬を飲みなさい」や「〇〇病院に行きなさい」と言うでしょうか。言われた人は「そんなことは私にも分かっている。聞きたい言葉はそれではない」と思っているかもしれません。これからは薬や病院を紹介する前に「それはお困りですね。お辛いことでしょう」と言ってあげてください。その人は、具体的な対処法を聞くよりも、あなたからの思いやりの言葉がほしいのです。

「おかげさまで」や「それはお困りですね」は、ファーストワードです。私たちはよくこのファーストワードを省略して、セカンドワードから話しをしがちです。相手へ敬意や思いやりの心は、ファーストワードの中に込められています。これからは意識してファーストワードを使い、血の通った温かい会話、人格者の会話を目指しましょう。正しい敬語を使うこと以上に、あなたのファーストワードがあなたを「礼儀正しい人」にしてくれます。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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2016年08月25日

問い:お金の余裕がなく、水子供養ができません。

答え:毎月24日の無料の水子供養にお申し込みください。

お母さまの中には「ずっと子供の供養をしたいと思っていますが、生活に余裕がなく供養ができません」とおっしゃる方がいます。悲しい思いをされていることでしょう。お辛いこととお察しいたします。

正雲寺では毎月24日に、無料の水子供養をさせていただいております。これは、お母さま(もちろんお父さまでも結構です)のお名前を法要の中で僧侶が読み上げて、亡きお子様に親の愛情をお伝えするのが目的です。「事情があって今はお葬式を挙げられないけれど、決してあなたのことを忘れていないよ。愛しているよ」とお伝えするのです。

電話でお名前とお住まいの都道府県をお知らせください。当寺からご連絡することは一切ありませんのでご安心ください。なお、匿名や仮名はお受けできません。ご供養に隠しごとや嘘があってはならないからです。毎月24日の午前10時から行います。その時刻には、手を合わせ、頭を下げてご一緒にお祈りください。そしてもし余裕ができましたら、正雲寺にお出でいただき、お子様のお葬式を挙げてあげてください。正雲寺(福島県会津若松市と大分県由布市にあります)では、すべてを含み1万円で承っております。

会津本山正雲寺 0242-28-1110(24時間対応します)
大分別院正雲寺 097-583-4433(24時間対応します)
正雲寺の水子供養 http://shounji.or.jp/mizuko.html

タグ:水子供養
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2016年08月23日

『修証義』 第9節

「しゅしょうぎ」は、道元(どうげん:1200−1253)禅師のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめて「仏さまの教えとは何か」を解説しています。
皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文形の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業はわたくしのライフワークになりつつあります。わたくしの等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いに存じます。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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【第9節 現代語訳】
懴悔(ざんげ)する時は、まず心の中で次のように祈りなさい。「私はこれまで多くの罪を犯してきました。その報いが今次々と襲ってきて、幸せになろうとする私の努力を邪魔します。仏さま、私をどうかお助けください。罪を犯しては報いに苦しむことを何度も繰り返す愚かな私ですが、あきらめずに努力いたしますので、この悪の連鎖を断ち切れるようにお力をお貸しください。仏さまもその昔は私と同じ凡夫だったと聞きます。それなら、私もきっと仏さまのようになれると信じて生きて参りますから」
※本来、仏教では「懺悔」を「さんげ」と読みます。

タグ:お経を読む
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2016年08月21日

問い:本当の愛とは何ですか?

答え:それは慈悲(じひ)の心です。

慈悲とは、人が苦しんでいる時に、その人の心に寄り添って苦しみを和らげることです。そしてもし可能なら、苦しみの原因を取り除くことです。自分の話題にすり替えたりせず、相手の問題に入っていく優しさ(関心)と辛抱が必要です。「あなたの苦しみは苦しみではない。私はもっと苦しい経験をした」などと言って自慢気に自分の経験を話すべきではありません。心に響くどころか、その人のエゴに付き合わされて嫌気を覚えることになるのです。もし目の前に苦しんでいる人がいたら、「それは辛いですね。さぞ苦しかったでしょう」と言えばいいのです。あなたに余裕があるなら「私にできることがありますか」と言ってください。たとえ無力でも、その優しさ(関心を寄せてくれたこと)に救われるのです。そして、お金でも物でも、あなたの財産は惜しみなく分け与えてください。それが無理なら、優しい言葉や笑顔、知識や智慧でもいいのです。そうやって相手の苦しみを和らげてください。これが本当の愛です。「与えるばかりでは自分が損をする」という考えは捨ててください。仏さまもイエス様も「惜しみなく人に与える者は、自分が与えた以上のものを人から得る」とおっしゃっています。損をするどころか、一番得をすることになるのです。お二人のお言葉を信じることです。

私たちは「私を理解してほしい。私に優しくしてほしい。私を幸せにしてほしい。私のそばにいてほしい」という具合に、いつでも「私」が中心となって、「ほしい」と叫んでいます。これらの叫び声を上手に飾って「愛」と言っていることが多いのです。私たちは、いつでも何かを「得ること」に必死になっています。本当の愛とはほど遠い、まったく反対のことをしているのです。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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2016年08月19日

試練の中で

ある男が夢を見ました。夢の中で男は主イエスと二人で並んで歩いていました。男が後ろを振り返ると、これまでの道のりには、主イエスと自分の二組の足跡が記されていました。ところが、所々、足跡が一組しかない場所があります。男は思いました。

「そういえば、その場所は私が苦しんでいた時だ。
私が苦しんでいた時に限って一組しかない」。
そこで男は傍らのイエスに尋ねます。
「どうして私があなたを一番必要とした時に、
私からお離れになったのですか」。
イエスがお答えになりました。
「いとしい我が子よ。
私は片時もお前の側を離れたことはない。
お前が見た一組の足跡は、私のもの。
私はその時、お前を背負っていたのだ」

渡部和子著 『目に見えないけれど大切なもの』 より
   

苦しい時ほど「自分はひとりぼっち」と思いがちです。この男のように、足跡が一組しかなければ、それは自分の足跡だと思い込みます。でも本当はそうではないのです。あなたが苦しみに負けないように、その試練を乗り越えられるように、そっと手を差し伸べてくれる存在が必ずあるのです。どんな試練の中にあっても、このことは忘れないでください。

「主イエス」とありますように、これはキリスト教のお話しです。私は仏教を奉ずる僧侶ですが、この話しを信じております。私にも「ひとりぼっち」と思うことが幾度もありました。その度に「こんなに苦しんでいるのに誰も助けてくれない」とひがんだりしました。それでも、ここまでたどり着けたのは、仏さまが私を背負ってくださったからです。そうでなければ、懲りずに愚行を繰り返す私が、今こうして穏やかな気持ちでいられるわけがありません。目には見えなくても、大きくて尊い存在を感じることは誰にもあるでしょう。背負われているのは、きっとそのような時かもしれません。どうか、自暴自棄になったりあきらめたりしないでくださいね。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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2016年08月17日

『修証義』 第8節

「しゅしょうぎ」は、道元(どうげん:1200−1253)禅師のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめて「仏さまの教えとは何か」を解説しています。
皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文形の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業はわたくしのライフワークになりつつあります。わたくしの等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いに存じます。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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【第8節 現代語訳】
誠心誠意、心を一つにして、仏さまの前で懺悔(ざんげ)をしなさい。そうすると、懺悔の不思議な力が働いて、罪の重さに苦しむあなたの心は救われ、身と心は清らかになります。さらにそこから清らかな信心が芽ばえ、あなたの幸せを求める努力を助けてくれるのです。清らかな信心は、あなただけでなく、あなたの周囲の人々をも清らかにしていきます。そうやって、生きとし生けるものすべてが、懺悔の不思議な力を受け取るのです。
※本来、仏教では「懺悔」を「さんげ」と読みます。


タグ:お経を読む
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2016年08月15日

問い:中絶をしました。罪悪感に苦しんでいます。

答え:仏さまに懺悔(さんげ)をしてください。

あなたに回心していただき、笑顔を取り戻してもらいたいと思います。仏さまは、深い愛情で罪を犯した人々を平等に優しく包んでくださいます。どうぞ、家の中で悩んでいないで、お寺に足を運んでください。そして仏さまの前に座って、心からの懺悔(さんげ)をしてください。

あなたが辛いお立場にあることは承知しております。しかし事実は申し上げなければなりません。正しい自覚なしに先に進めば、再び過ちを犯す危険があるからです。中絶はいかなる理由においても罪です。ここにマザーテレサの言葉をご紹介します。「中絶する者は平和の破壊者です。なぜならば、母が子供を殺すなら、他人同士が殺し合うのは当然になるからです」。この言葉の根底には「命を与え、また命を奪うのは神のみ」という考えがあります。神ではない人が命を自由にしてはならないということです。中絶は、男女の間で適切な配慮がなされていれば、犯す必要のなかった罪です。仏教は、自分の命を維持するための最小限の殺生は認めています。しかしそれ以外の必要性のない殺生は厳しく禁じています。「みだりに殺してはならない」は、仏教の戒律の中で最も重大な戒律です。それだけに罪も重いのです。罪を犯せば、それ相応の苦の報いが必ずあります。誰も報いから逃れることはできません。これを仏教の用語で「自業自得(じごうじとく)」と言っています。あなたが現に罪悪感に苦しんでいることが報いかもしれませんし、別の形でやって来るかもしれません。それは誰にも分からないのです。苦の報いを消し去ることはできません。

懺悔とは、合掌して頭を下げ、嘘や飾りのない素直な心で仏さまに洗いざらい罪を告白することです。そして「もう二度と繰り返しません」と誓い、回心することです。その心が本物である時、仏さまがあなたの罪を消し去り、重い報いを軽くし、あなたの身と心を清らかにしてくださると経典には書かれています。懺悔の不思議な力と言えるでしょう。あなたはまず徹底して懺悔をしなければなりません。その懺悔が本物であった時、はじめて未来が開かれるのです。正雲寺にお越しの際は、どうぞ声をかけください。仏さまの慈悲の心に触れながら、これからのことを一緒に考えてまいりましょう。

〇懺悔の不思議な力については、『修証義』という経典に記されています。あわせてご覧ください。
『修証義』第7節 http://shounji.sblo.jp/article/176374645.html
『修証義』第8節 http://shounji.sblo.jp/article/176500512.html

会津正雲寺 0242-28-1110(24時間対応します)
大分正雲寺 097-583-4433(24時間対応します)
正雲寺の水子供養 http://shounji.or.jp/mizuko.html


タグ:水子供養
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2016年08月11日

問い:ここから逃げたいです。

答え:置かれた場所で咲きなさい。

私がお慕いする宗教家の一人に、渡部和子というカトリックのシスターがいます。今年、89歳におなりです。答えに示した「置かれた場所で咲きなさい」は、シスターのお言葉です。同名の著書がありますので、ご存じの方も多いでしょう。この言葉は、シスターがまだお若く、悩むこと多かった時代に、ある宣教師から贈られた英詩で、原意は「神があなたをお植えになった場所で咲きなさい」であったものをシスターが「もっと日本人に馴染みやすい言葉で」と意訳されたものです。この英詩には続きがあります。それは「咲くということは、仕方がないと諦めることではありません。それは笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと証明することなのです」というものです。私はこの続きの部分も含めて、この言葉がとても好きです。

おそらくは誰でも不本意な境遇に身を置いた経験がおありでしょう。今がそうだという人もいらっしゃるかもしれません。お尋ねの方のように「逃げたいのに逃げられない」という境遇で、誰にも相談できずに悩んでおられるかもしれません。シスターは、50年以上も信仰と修道に生きたお方ですが、それでも「こんなはずじゃなかった。逃げたくてしかたない」という思いの連続だったとおっしゃっています。

境遇を変えることは難しくても、それに向き合う心は自由です。境遇が変えられないからといって、あなたの心までが変えられないわけではありません。病気のためにベッドに寝たきりの人でも、心までベッドに縛られているわけではありません。病気を悲観してすさんだ気持ちになるのも、笑顔を振りまいて他の患者さんに喜びを与えるのも同じ心です。同じものを見ていても、暗い気持ちになる人もいれば、明るく前向きにとらえる人もいます。辛い境遇から逃げたいと思うか、立ち向かって自分の成長の肥やしにするかで、ずいぶんと人生は変わります。

あなたが今ここにあるのは、神様がお決めになったプランだからです。神様はきっと、その不本意な境遇でも、あなたが力を発揮することをすでにご承知なのです。あなたが出し惜しみをしている潜在的な力を引き出すために、あえてその境遇をお選びになったのでしょう。神様の親心です。そのお心に感謝して、思し召しのとおりであることを証明してみせてください。苦しいことや悲しいことが続くかもしれません。でもそれは必ず終わります。聖書には「神様は力に余る試練を決してお与えにならない。試練には、それに耐えられるように逃れる道を備えてくださる」とあります。心配せずに自分の力を信じて、笑顔で歩いてください。その時、あなたの前方には、あなたのための道が必ず延びていきます。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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2016年08月09日

今を善(よ)く生きる


幽霊といえば、おどろ髪(手入れされていないぼさぼさの髪)を後ろに長くひき、両手は体の前でだらりと垂れ、両足のない姿というイメージですね。うつろで生気のない様子は、生きている私たちとは違って見えます。ところが本当は私たちの姿そのものだというのです。長いおどろ髪は、過去にとらわれ、ずっと引きずっている様子を、前に垂れた両手は、為す術なくただ未来を思い煩っている様子を、両足がないのは、しっかり大地を踏みしめて今を生きていない様子を表しているそうです。

仏さまは「過去を悔いることなく、未来を悩むことなく、今を善く生きなさい」と教えています。今を善く生きているなら、過去のすべての過ちは善の種となります。悔いる必要はありません。そして未来は今の積み重ねですから、今を善く生きているなら未来も善く生きられます。悩む必要はありません。過去と未来の価値を決めるのは、今の生き様なのです。あれこれ悩まずに、今を善く生きることに専念しましょう。善く生きるとは、あなたが毎日「喜び」と「感謝」とともに生きることです。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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2016年08月07日

『修証義』 第7節

「しゅしょうぎ」は、道元(どうげん:1200−1253)禅師のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめて「仏さまの教えとは何か」を解説しています。
皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文形の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業はわたくしのライフワークになりつつあります。わたくしの等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いに存じます。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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【第7節 現代語訳】
仏さまは、平気で悪事を働く私たちを憐れみに思い、懺悔(ざんげ)の門を開いてくださいました。これは私たちに、本当の心の平安を得させようとのお気持ちからです。これほどの慈愛を頂戴しながら、この門に入らない者などありません。悪事を働けば必ず苦の報いがあることは誰にも変えられない真理ですが、懺悔することで、重い報いを軽くすることができます。その上、あなたが犯したこれまでの罪を消し去り、身と心を清らかにし、立ち直る機会を与えます。懺悔はそれほど尊いのです。
※本来、仏教では「懺悔」を「さんげ」と読みます。

【用語解説】 悪事(あくじ)
仏さまは「貪(むさぼ)ること」「怒ること」「真理を軽んじること」の三つを悪事と呼びました。法律に反するような社会的な犯罪だけでなく、誰もが持っている煩悩のことでもあります。つまり私もあなたも悪事を働いているのです。三つ目の「真理」とは、「悪事を働けば、必ず苦の報いがある」ということです。


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