2017年05月18日

日曜坐禅のご案内

2017年の日曜坐禅は、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想を行います。聞き慣れない方もいらっしゃることでしょう。これはお釈迦様の時代から実践されている仏教伝統の瞑想法です。難しいことは何もありませんのでご安心ください。前半は座る瞑想(サマタ瞑想)です。座りながらある文章を読み続けることで気持ちを落ち着かせます。後半は立つ瞑想(ヴィパッサナー瞑想)です。立つこと自体を一つ一つ自分で実況中継します。自分の動作にだけ集中して、他の雑念を取り払います。実際に、それが皆さまの心にどのように作用するかは、体験してのお楽しみです!

次回開催は、6月11日です。6月から12月までの毎月第2日曜日、午前9時30分より正雲寺会津本山の坐禅堂にて開催いたします。参加費は500円。小学生以下のお子様は無料です。

ご予約は、
0242-28-1110
info@shounji.or.jp
までお願いいたします。

posted by むしょうさん at 12:21| Comment(0) | お知らせ

2017年05月13日

『修証義』 第20節

「しゅしょうぎ」は、道元禅師(1200−1253)のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめ、仏さまの教えを易しく解説しています。皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業は私のライフワークになりつつあります。私の等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いです。

【現代語訳】
菩提心(ぼだいしん)を起こした人は、たとえ生まれ変わりを繰り返そうとも、その過程はすべて、最終的な涅槃(ねはん)のための準備になります。しかし菩提心を起こさなければ、ただ虚しく生まれ変わりを繰り返すだけで、涅槃の準備にはなりません。ですから、今までの人生を虚しく過ごしてきたと思うなら、命が尽きる前に急いで菩提心を起こしなさい。菩提心とは、たとえ涅槃の境地に入ったとしても、その境地を一人で楽しまず、またそこに安住せず、なおも他人を救おうと努力することです。お釈迦様は俗世間から解脱して、一人涅槃の境地を楽しむことができたのに、そうはせずに虚しく苦しい俗世間にとどまって人を助け続けました。これが菩提心というものです。

【ミニ法話】
菩提心とは、簡単に言えば、自分の利益よりも人の利益を優先するということです。自分の楽しみや喜びは、ひとまず後回しにして、人の楽しみや喜びのために努力することを言います。
仏教は、生命の「生まれ変わり」を説きます。そして、「生まれ変わり」は決して嬉しいことではなく辛いことだと教えます。どんな世界に、どんな姿形で生まれ変わろうとも、老病死の苦しみ、愛する人と別れる苦しみ、欲しいのに手に入らない苦しみ等が必ず付きまとうからです。ですから、生まれ変わりというサイクルから抜け出て、苦しみのない平穏な世界(これを「涅槃」といいます)に行くことをすすめるのです。その涅槃に行くための唯一の条件は、「菩提心を持つ」ことだと教えているのが本節です。

タグ:お経を読む
posted by むしょうさん at 12:43| Comment(0) | 現代語訳『修証義』

2017年05月10日

【死と向き合う】私の人生は何だったのでしょうか


『死と向き合う』と題して、死に直面した人々の心の声を連載します。これらの声に私たちはどう向き合って、何を答えればいいのでしょうか。死は誰にも平等に訪れます。自分自身の事として、または見送る側の家族として何ができるのかを一緒に考えて参りましょう。

この声の背景には、「自分の人生の意義が分からず虚しく感じる。意義ある人生を送れず後悔している」という嘆きがあります。死を目の前にした時、人は誰でも否応なく自分の人生を振り返ります。その時、多くの人にとって一番の気がかりは「人生の意義」です。

意義とは何でしょうか。「生きた証(あかし)」と言う人もいれば「存在価値」と表現する人もいます。いずれにせよ、一般には「生きている間に、自分は何か価値のあることをしたか」ということではないでしょうか。価値は人によって違います。ビジネスに成功してお金と社会的地位を手に入れることかもしれません。または家族や孫に恵まれることかもしれません。反対に、目に見える形では何も残せず、独りで寂しい思いをしている人もいます。

仏教では、人によって感じたり感じなかったりする価値は説きません。それらは私たちが自分の都合で勝手に作り上げたのであり、大小、高低、優劣、多少といった人との比較が前提になっています。仏教は、人と比較しない絶対的な価値だけを説きます。つまりそれは、「人間としてこの世に生まれる」ということです。

こう言うと「生まれることなんて努力とは関係ない、自分で成し遂げたとは言えない」という反論が聞えてきそうです。現世に限って言えばその通りです。しかし仏教はもっと大きな時間軸で物事を見ます。現世だけでなく、過去世にまでさかのぼって見るのです。あなたは、過去世で何かとても善いことをしたから、そのご褒美として、今こうして人間に生まれることができました。他の生き物、例えば鳥とか牛とかミミズとかに生まれていても不思議ではありませんでした。こんな例え話があります。東京タワーの上からコップ一杯の水を捨てた時、水は細かく別れて霧となり空気中に拡散します。拡散した水が再び集まって、地上に置かれたコップを元と同じように満たすことはほとんどあり得ません。これと同じで、ある人が死んで再び人間に生まれてくることは天文学的に低い確立であって、ほとんどあり得ないのです。

なぜ人間に生まれることがご褒美なのかと言えば、それは、地球上の、星の数ほどある生命の中で、人間だけが真理を学ぶことができるからです。つまり、こういうことが言えます。人生の意義とは、人間として生まれること、そして真理を学ぶこと、この二つなのです。あなたはすでに「人間として生まれる」は達成しています。残る一つ「真理を学ぶ」は、あなたの呼吸が止まる最期の瞬間までトライできることです。

真理とは「すべての命はつながっている。命は孤立することがない」です。そして、真理を学ぶとは、これが自分にとってどういう意味なのかを考えることです。命がつながるとは、互いに影響し合うこと。その中には、人は人を支え、また同時に支えられているという事実が含まれています。真理から見れば、あなたがこれまでどのように生きてきたかは関係ありません。あなたはただ生きているというだけで、すでに誰かを支えているのです。実感がありませんか?それはあなたが、目で見て肌で感じるものしか相手にしない生き方をしてきたからです。そのような窮屈なものの見方から、もっと大らかなものの見方に変えてはどうでしょうか。

人生の意義は、すべての人類に対して平等に、すでに与えられています。多くの人が、すでに達成したものと達成していないものの区別さえできないでいます。人生の意義について、遠くに答えを求めても、そこにはありません。あなたの足元にすでにあるのです。あなたは誰を支えましたか。そして誰に支えられましたか。時間をかけてゆっくりと考えてください。その答えが見つかった時、あなたの人生の意義はすべて達成されます。

ご相談は、
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2017年05月02日

問い:子供のお骨を家に置いています。このままでいいですか。


答え:それがあなたの幸せかどうかを考えてください。

お子さんを亡くしたお母さんの中には、子供のお骨をずっと自宅に安置している方がいらっしゃいます。愛しい我が子のそばにずっといたい、申し訳ない気持ちで謝り続けている、そういうお母さん達です。そのお気持ちは、母として、また人としても当然のことで尊い心だと思います。私は、お子さんのお骨を家に置いておくという行為自体は間違っていないと思います。ただ、これとは別に考えていただきたいことがあります。それは、お母さん自身の幸せについてです。

仏教には「執着(しゅうちゃく)」という言葉があります。執着とは、ああしたい、こうしたいという欲が強すぎて、その欲がかえって自分を不幸にしてしまうことです。欲は誰にもあります。ささやかな幸せを保つくらいのほどほどの欲なら良いのです。「一年に一回は家族旅行に出かけたい」とか「地味な服はやめて、明るい服を着て気分を変えたい」とかです。でも、もしこれが「一年に一回ではなく、毎週出かけたい」とか「明るい服でも、シャネルでなきゃダメ」というふうに欲が強くなってしまうと、色々と問題が起きて幸せでいられなくなります。

お母さんの、子供のお骨に対する気持ちもまた同じです。お骨のそばで生活することが、お母さんの心を和(なご)ませ幸せにしてくれるのなら、それもいいでしょう。しかしお骨への思いが強すぎて、いつまでも悲しみから抜け出せなかったり、新しい幸せをつかむ障害になっては困ります。第一、母親のそんな姿を亡くなった子供は見たくないでしょう。

もし現状が、少しでも不安だったり、重荷に感じるようなら、迷わずお骨を手放すべきです。手放すことは別れではありません。縁を切ることでもありません。お母さんとお子さんのそれぞれが新しい幸せをつかむことなのです。目に見える形ではなくても、二人の心はしっかりと結び合っているのですから、何も心配はいりません。お母さんは「この子がいるから、私は幸せになれた」と言えるようになってください。お子さんは「大好きなお母さんが幸せで嬉しい!」ときっと言ってくれるでしょう。

お骨を手放すとは、お墓に埋葬したり、お寺に納骨することです。お寺の役目は、お母さんとお子さんの二人が同じくらい幸せになってもらえるように手助けをすることです。その第一歩は、執着する心を減らすことからです。ご相談はいつでも無料で承ります。一人で悩まないで、どうぞご連絡ください。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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会津正雲寺 0242-28-1110(24時間対応します)
大分正雲寺 097-583-4433(24時間対応します)
水子供養は、福島県と大分県にある二つの正雲寺で承ります。
正雲寺の水子供養 http://shounji.or.jp/mizuko.html


タグ:水子供養
posted by むしょうさん at 09:44| Comment(0) | 人生相談