2018年06月14日

『修証義』 第26節

「しゅしょうぎ」は、道元禅師(1200−1253)のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめ、仏さまの教えを易しく解説しています。皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業は私のライフワークになりつつあります。私の等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いです。

【現代語訳】
私たちは、この世界に人間として生まれてきたからこそ、菩提心(自分よりも人の幸せを願う心)を発することができるのです。過去からの数々の因縁がつながっただけでなく、強く願う心があったからこそ、この人間世界に生まれ、お釈迦様の教えに出会えたのです。なんと嬉しいことではありませんか。

【法話】
この一節は、我が身の尊さを説いています。しかし「私は偉い」と慢心することではありません。私という人間が今こうして存在するためには、いったいどれだけの命がつながり、どれだけの条件が揃えばいいのでしょうか。どれ一つ欠けても成立しないこの命です。まさに奇跡の連鎖と言えるでしょう。その命の貴重さを説いているのです。しかし私たちは、こうして授かった貴重な命を雑に扱ってはいないでしょうか。自分の命を軽んじるのは、それが自分の所有物だと勘違いをしているからです。「私の命は私のもの。それをどう扱おうが私の勝手」と言う人がいます。しかし体の中で私のものと呼べる部分があるでしょうか。もし本当に私のものなら、何事も思い通りになりそうですが、実際にはそうはなりません。顔のシワが増えることや髪や爪がのびることを、私たちは一秒も止めることができません。病気になることも歳をとることも、何一つ自分の思い通りにコントロールできないのです。これで本当に自分のものと言えるでしょうか。体の中の細胞の一つ一つは、すべてご先祖様が作り上げてきたもので、私が新たに作り出したものではありません。私という命は、すべて他人が築き上げたものであって、「私」という意識が、ただその管理を託されているにすぎません。私たちは管理者として、この命を有難く受け継ぎ、そしてこの命の価値を全うしなければなりません。それは、子供を産み次の世代に命をつなぐことだけではなく、誰かの生きる力となって、その命を支えることでもあります。菩提心がそれを可能にします。菩提心こそ、すべての命の中で人間だけが持つことを許された奇跡の心なのです。

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posted by むしょうさん at 10:52| Comment(0) | 現代語訳『修証義』

2018年06月08日

「利他はうんざり!」

そう言って若い僧侶が怒っていました。ちなみに「利他(りた)」というのは、仏教の教えで、選り好みせずに有縁の人々を幸福へ導くことを言います。仏弟子(僧侶)の重要な使命であり、日々の実践徳目でもあります。

その若い僧侶の言い分は「○○さんの幸福のために、どうして私が自分の人生を犠牲にしなくちゃいけないんですか!?」というものでした。彼が○○さんのことを嫌っているのは明らかです。自分の好き嫌いで相手を選んでいること、自分が損をすると思い込んでいること、この二つで、彼が「利他」を理解していないことが分かります。

好きな人のために犠牲になることは誰でもできます。そんな誰でもできることをしても、迷いからの解脱や真の幸福は手に入りません。嫌いな人の幸せを願う心があって初めて手に入るのです。聖書には「汝の敵を愛せ」とあります。同じことです。そして利他は人のためだけではなく、自分のためであることを知らなければなりません。修証義という経典には「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」とあります。俗に言う「情けは人のためならず(自分のため)」です。

もちろん簡単なことではありません。修行の自覚がなければ、続けるのは難しいでしょう。その若い僧侶は、困っている人がいたら口よりも先に体が動くような人で、十分に気持ちの優しい、行動力のある人です。そんな彼ですが、利他はできません。それは利他が確かな修行の先に実現するものだからです。

これは私も時々直面する問題です。そんな時私は釈尊の言葉を思い返します。それは「他人のすることしないことを見るな。自分のすることしないことだけを見よ」という言葉です。善いことをする時は、相手の反応や態度を気にせず、一切の見返りを望まず、やったことの中身を誇示せず、やった自分を誇らない、という意味です。ただ、自分は善に照らして何をしたか、何をしなかったかだけを自問すれば良いのです。これが確かな修行です。私はこの修行の中で一進一退を繰り返しています。この先に利他の心がありますが、まだ遠い道のりのように感じています。若い彼が悩むのも無理もないことです。

posted by むしょうさん at 11:20| Comment(0) | 人生相談

2018年06月05日

問い:苦しみはどこから来ますか?

答え:私たちの所有欲からです。

苦しみは、すべてのものに対して「自分のもの」と思い込んで、それに執着することから生じます。すべてのものはただ変化し消滅するだけのものなのに、私たちは不変不滅を望みます。そしてその望みは決して叶えられません。そこに苦しみが生じます。一番身近な例は自分の体です。誰もが自分の体は自分のものだと思い込んでいます。ところが、所有物にもかかわらず、私たちは皺や白髪が増える老化を一秒も止めることができません。病気になることも死ぬこともそうです。いつまでも若くいたい、死にたくないと望んでも、結局は失望することになります。何一つ思いどおりにはならないのです。これで本当に自分のものと言えるでしょうか。もともと所有できないものを所有しようと無駄な努力をしているように見えます。

所有欲の正体は「自分の思いどおりにしたい」という心です。しかし実際には何一つ思いどおりにはなりません。自分の体一つ思いどおりにできないのに、どうして他のものを思いどおりにできるでしょうか。苦しみを減らすには、この世のものはただ変化し消滅するもの、何事も自分の思いどおりにはならず、所有することはできないと思い直すことです。愛する人、愛する人の心についても同じです。

「自分のものではない」と思い直すことは、心が冷めたり、諦めたり、人のことなどどうでもいいと投げやりになることとは違います。むしろ逆です。それは、特定の人に執着するのをやめて、全ての人に対して平等に慈しみの目を向けるということです。私は私のものではなく、彼も彼のものではありません。全ての人が無常の世界に住みながら常住を求めて苦しんでいます。皆が同じ境遇にあるのです。私たちは同じ悲しみを背負った同胞です。互いに憐れみ、優しくしあうのが自然な姿と言えるでしょう。


posted by むしょうさん at 13:34| Comment(0) | 人生相談