2016年10月07日

問い:最愛のペットを亡くしました。悲しくてたまりません。

答え:今は泣けるだけ泣いてください。

大切なものを永遠に失ったと思う時、人は深い悲しみに陥ります。この悲しみがいずれ癒えるとは信じられないことでしょう。「時がすべてを解決してくれる」という真理も、今のあなたには気休め程度にしか聞こえないかもしれません。

子供の頃、私の家には吹雪(ふぶき)という名のミニチュアシュナウザーがいました。私と吹雪とは、家族もうらやむほどの仲良しで、いつでもどこでも一緒でした。吹雪は、持っている愛のすべてを私に注いでくれました。私との時間を一秒も無駄にしたくないという様子でした。そんな吹雪を家族は「この子はどこか生き急いでいるね」と言うのでした。その言葉のとおり、吹雪はわずか4年の生涯を駆け抜けていきました。悪い病気にかかってしまったのです。小さな体をふるわせて痛みに耐える吹雪、私がそばによると力を振り絞って、血を吐きながらも起き上がろうとします。そんな吹雪を見るのは子供の私には辛いものでした。医師の判断で筋弛緩剤を投与された時、最後の最後に頭を上げて私の顔をじっと見ながら、消え入るように安楽死していった吹雪、その吹雪の顔を今も忘れません。私は毎日泣き続けました。生気なくペットショップに出向いては、同じミニチュアシュナウザーに吹雪の面影を重ねたりしました。その時、この悲しみが癒えるなどとは到底思えませんでした。当時「ペットロス」という言葉はまだありませんでしたが、私はその典型だったと思います。

もう30年も前の話です。今でも時折悲しみが襲ってきます。しかし、以前は悲しみ一色だったものが、今では穏やかな幸福感が心を占めるようになりました。時間の経過とともに悲しみが癒えたとは言い切れません。悲しみを忘れたことはないからです。私の中で悲しみと幸福が仲良く同居しているようです。不思議なことですが、どちらも吹雪の一部なのです。どちらかを好んで、どちらかを嫌うことなどできません。時間の経過とともに、吹雪を丸ごと愛する心が強くなり、そう思わせているのかもしれません。悲しみが癒えたというよりも、愛が一層強くなったという方が正しいように思います。「必ず最後に愛は克つ」という歌がありましたね。本当にその通りだと思います。

深い悲しみに対して、すぐに効く特効薬などありません。私が30年かかって得たものは、吹雪のすべてを受け入れて愛することでした。やせ細った体も、吹雪が流した血も、わずか4年の命も、どれも私には愛すべき吹雪です。そう思える時、初めて悲しみは悲しみでなくなります。そう考えますと、本当は悲しみなどは初めから無かったのかもしれません。現象をありのまま見ることをせず、悲しみとして見る私の心があるだけなのです。今なら分かる気がします。生と死の両方が吹雪そのものだということを。両方を愛することが、吹雪のありのままを愛することだということを。

皆さまが、私のように愚かにも30年も時間を費やすことがないように、一日も早くこの理(ことわり)に気付いてくださるように願うばかりです。合掌

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
http://shounji.or.jp/pet.html

タグ:ペット供養
posted by むしょうさん at 17:03| Comment(0) | 人生相談
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