2016年12月13日

力としての愛を育てよう


前回の記事で私は「素直さは力であり、修練して蓄えるもの」とお話ししました。実は「愛すること」も同じです。「愛すること」も私たちが生まれつき持っているものではなく、後天的な努力によって勝ち取る「力」なのです。なぜなら「愛すること」は智慧に裏付けられた行為であり、とても理性的なものだからです。この智慧とは無関係に誰でも本能的に持っているのが「好き嫌い」という感情です。例えば、あなたに嫌いな人がいるとします。「ひどい仕打ちをされた。裏切られた。傷つけられた」など理由は様々です。とにかく話しもしたくないし、会いたくもないという人です。感情的にはその人を避けて通りたいと思っています。ところが、ある智慧を持てば、そんな相手でも自分の恩人のように思えたり、その人の幸せを祈ったりすることができるのです。その智慧とは「ご縁に感謝する」ということです。

考えてもみてください。あなたは相手のひどい仕打ちのおかげで、ちょっとやそっとのことではへこたれない強い心を獲得したのではありませんか。傷つけられた時の心の痛みが分かるから「自分は人にそんなことはしない」という優しさを持てるようになったのではないですか。ひどい仕打ちをした相手に対してではなく、そのような人を自分の目の前に置いた神仏のお計らい(これを「ご縁」と言います)に感謝するのです。神仏から見れば、私たちは将棋の駒のようなものです。駒の配置には必ず意味があります。そこには神仏の親心やエールが隠れています。その意味を読み解き、自分のプラスにできれば、感謝することができるのです。

私にも嫌いな人がいます。今でも感情的には近づきたいとは思いません。その人からはひどい仕打ちを受けましたが、しかし結果として、その人が直接的間接的な原因となり、私はこうして仏道を歩くことができるのです。最初は「ご縁」に対してだけ感謝をしていたのですが、今では相手にも感謝の心を持てるようになりました。不思議なことですが、この気持ちは徐々にやって来るようです。少し時間がかかります。でもそれが修練というものなのでしょう。嫌いな人でも愛することはできます。その人の幸せを祈ることもできます。本能や感情に振り回されず、智慧によってマイナスをプラスに転換し、人として成熟すること。それが人間として生まれた私たちの特権というものです。「力としての愛」を育てていきましょう。

posted by むしょうさん at 09:51| Comment(0) | 人生相談
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