2018年06月08日

「利他はうんざり!」

そう言って若い僧侶が怒っていました。ちなみに「利他(りた)」というのは、仏教の教えで、選り好みせずに有縁の人々を幸福へ導くことを言います。仏弟子(僧侶)の重要な使命であり、日々の実践徳目でもあります。

その若い僧侶の言い分は「○○さんの幸福のために、どうして私が自分の人生を犠牲にしなくちゃいけないんですか!?」というものでした。彼が○○さんのことを嫌っているのは明らかです。自分の好き嫌いで相手を選んでいること、自分が損をすると思い込んでいること、この二つで、彼が「利他」を理解していないことが分かります。

好きな人のために犠牲になることは誰でもできます。そんな誰でもできることをしても、迷いからの解脱や真の幸福は手に入りません。嫌いな人の幸せを願う心があって初めて手に入るのです。聖書には「汝の敵を愛せ」とあります。同じことです。そして利他は人のためだけではなく、自分のためであることを知らなければなりません。修証義という経典には「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」とあります。俗に言う「情けは人のためならず(自分のため)」です。

もちろん簡単なことではありません。修行の自覚がなければ、続けるのは難しいでしょう。その若い僧侶は、困っている人がいたら口よりも先に体が動くような人で、十分に気持ちの優しい、行動力のある人です。そんな彼ですが、利他はできません。それは利他が確かな修行の先に実現するものだからです。

これは私も時々直面する問題です。そんな時私は釈尊の言葉を思い返します。それは「他人のすることしないことを見るな。自分のすることしないことだけを見よ」という言葉です。善いことをする時は、相手の反応や態度を気にせず、一切の見返りを望まず、やったことの中身を誇示せず、やった自分を誇らない、という意味です。ただ、自分は善に照らして何をしたか、何をしなかったかだけを自問すれば良いのです。これが確かな修行です。私はこの修行の中で一進一退を繰り返しています。この先に利他の心がありますが、まだ遠い道のりのように感じています。若い彼が悩むのも無理もないことです。

posted by むしょうさん at 11:20| Comment(0) | 人生相談
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