2017年11月06日

八正道 その二【正思惟】

八正道(はっしょうどう)は、お釈迦様が説いた「苦しみを止滅させるための八つの方法」です。「正しい道」とは、本来「さとりの智慧を得る方法」という意味ですが、今は「他人を幸せへと導く方法」と理解する方が分かりやすいかもしれません。利他の生き方こそ、苦しみから解放されて自らを利する生き方だからです。正しくあるためには「自分の思い通りにしたい」という自己中心的な考えや態度、つまりエゴを減らす努力が大切だと最初の【正見】で教えています。


【正思惟(しょうしゆい)】〜正しく決意する〜
私たちは「原因があって、結果がある」という因果の法則の中で生きています。何もないところから突如として結果が現れることはありません。「幸せになりたい」と最初に思うからこそ、幸せになる努力を惜しまず、結果として幸せを手に入れるのです。もしあなたが苦しみのない人生を望むなら、その結果へと導く原因を最初に作らなければなりません。それが「正しい決意」です。では、何を決意するのでしょう。苦しみを生むのはいつもエゴです。自分の幸せだけを優先して、他人の幸せには無関心なのがエゴです。だから今の苦しみがあるのです。それならば、これと反対のことをすれば苦しみはなくなります。つまり「自分の幸せを後回しにして、他人の幸せに関心を寄せる」ということです。これが正しい決意です。

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2017年10月28日

八正道 その一【正見】

八正道(はっしょうどう)は、お釈迦様が最初期に説いた「苦しみを止滅させるための八つの方法」です。「正しい道」とは、本来「さとりの智慧を得る方法」という意味ですが、今は「他人を幸せへと導く方法」と理解する方が分かりやすいかと思います。利他の生き方こそ、苦しみから解放されて自らを利する生き方なのです。正しくあるためには「自分の思い通りにしたい」という自己中心的な考えや態度、つまりエゴを減らす努力が大切だと【正見】は教えています。すべては【正見】から始まります。

【正見(しょうけん)】〜正しく見る〜
苦しい時は、その苦しみの原因を正しく見ます。すべての苦しみは「自分の思い通りにしたいのに、そうはならない」ことへの怒りの心から生じます。つまり、自己中心的な欲求が原因です。苦しみが生じたとき、それを引き起こしているのは自分自身だと冷静に観察するのです。しかし、例えば、大切な人を病気で亡くした時に抱く苦しみは、自分で引き起こした苦しみと言えるでしょうか。一見すると、原因を作ったのは病気であり、自分ではないと思うかもしれません。しかし、これも、よく観察すれば分かることです。病気が原因であることに間違いはありませんが、もっと直接の原因は「いつまでも側にいて欲しかったのに、そうはならなかった」という失望です。そしてこの失望もエゴの一つなのです。私たちは、外に原因を探すことに慣れすぎていて、最も身近な自分の心を観察できていないのです。正見とは、苦しみが生じたときに、その根本の原因は自分のエゴにあると観察することです。

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2017年10月22日

四つの真理

お釈迦様が悟りをお開きになってから、初めてお説きになった教えが「四つの真理」です。これを「四諦(したい)」と呼んでいます。仏教の根幹をなす教えです。

【第一の真理】
人の一生は苦しみの連続である。

【第二の真理】
苦しみの原因は「思い通りにしようとする心」である。

【第三の真理】
苦しみは止滅できる。

【第四の真理】
苦しみを止滅する方法は「八つの正しい道」である。

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2017年10月13日

問い:50過ぎです。乱暴に生きてきました。やり直せますか?

答え:やり直せます。

ただし、これが最後のチャンスです。しっかりと覚悟してください。人に暴力をふるい、多くの人を傷つけ、自分勝手に生きてきたあなたです。40年もの間、ため続けた心の汚れを取り除くのは簡単ではありません。3年はかかります。

あなたの修行は「我慢」です。何があっても我慢をしてください。すべてを我慢してください。相手を選んではいけません。唇を噛んで血がにじんでも、決して口を開けて言い返してはいけません。これからあなたは、人からののしられたり、殴られたりするでしょう。それでも黙って我慢してください。そして毎日一つだけ、一つだけで構いませんから、人が喜ぶことをしてください。大変な苦行ですが、もしあなたが必死に励むなら、3年で結果が出ます。

人からののしられたり、殴られたりするのは、あなたがこれまで行ってきた悪に対する苦の報いです。これを「悪因苦果」と言います。悪いことをすれば、必ず苦しみが報いとなって自分に帰ってくるという意味です。報いは抵抗せずに受け入れなければなりません。もし報いに抵抗すれば、それがまた悪となって、さらなる苦の報いを作ります。愚かな人は、そうとも知らずに抵抗し続けるので、悪因苦果を一生繰り返すのです。どこかで報いを清算しなければなりません。あなたは3年をかけて報いを清算し、新たに悪因苦果を作らないように修行するのです。これが「我慢」です。仏教では「忍辱(にんにく)」と呼び、この上なく苦しい修行だと教えています。

お釈迦さまの時代、アングリマーラという名の殺人鬼がいました。100人を殺せば悟りを開けるという間違った教えを信じて、殺人を繰り返していました。すでに99人を殺し、最後の一人としてお釈迦さまに刃を向けたのです。お釈迦さまはアングリマーラと静かに向き合い「そのようなことをしても悟りは開けないこと、殺さないことによってのみ悟りが開けるのだ」と教えました。アングリマーラは即座に改心をし、仏弟子として生きることを誓います。しかし、これまでの悪行に対する報いが消えることはなく、町に托鉢に出れば、人々から「殺人鬼がやってきた」と叫ばれて石を投げつけられ、つばを吐かれ、引きずり回されたのでした。それが来る日も来る日も続きました。見かねた他の仏弟子たちがお釈迦さまに言いました。「アングリマーラは血だらけです。あれでは命がもちません。どうか托鉢を止めさせてください」と。しかしお釈迦さまは言いました。「アングリマーラは自分の過去の悪行の報いを今受けているのだ。アングリマーラは耐えねばならない」と。そうしてアングリマーラは何年も耐え抜き、ついに悟りを得て、「アヒンサー(不殺生の人)」と呼ばれるまでになったということです。

アングリマーラはあなたです。アングリマーラと同じ覚悟をもって、耐え抜いてください。耐え抜いた先には必ず幸せが待っています。最後にお釈迦さまのお言葉をあなたにお贈りします。

「以前には悪い行いをした人でも、
のちに善によってつぐなうならば、
その人はこの世の中を照らす光となる」


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2017年09月17日

問い:苦しい時はどうすればいいですか?

答え:耐え忍ぶことです。

こう答えると、「何てバカなことを言うんだ!」と叱られるかもしれませんね。「忍耐(耐え忍ぶこと)」が嫌われるのは、あきらめムードが漂っているからでしょう。勝敗や優劣で人を測る世間では、忍耐が弱者がとる態度のように見られてしまいます。消極的で弱腰のイメージがあるのです。

しかしお釈迦様の見方は世間とは全く違います。お釈迦様は仰います。「忍耐は、人を幸せへと導く最上の苦行である。耐え忍ぶ者は常に勝者である」と。お釈迦様は生前、他国によってご自分の一族が滅ぼされるという経験をされました。目の前で一族が殺される苦しみを経験し、それを耐え忍んだのです。さぞお苦しみのことであったろう思います。しかし、その果てに「この世は無常である。無常なるものに追いすがってはならない。もし無常なるものに永遠を望むなら、それは決して叶うことはないのであるから、そこに苦しみが生じる」という真理に目覚めたのです。「最上の苦行」というお言葉が、絵空事ではなく現実であることを物語っています。

怒り、悲しみ、苦しみで心がいっぱいの時、これらの感情が通り過ぎて行くまで、結局は耐え忍ぶ以外にありません。しかし「倍返し」などと怒りや復讐の気持ちを持って耐えるのでは、人格がゆがんでしまいます。そうではなく、あなたの人格を向上させ、本当の幸せへと導く正しい耐え方というものがあるのです。それは、

規則正しい生活を心掛け、自分ではなく他人を喜ばせることに集中することです。そうしながら耐え忍ぶのです。

しかもこれらは、常に強い意識を持って強制的に行う必要があります。目先を自分から他人に移すことで、怒り、悲しみ、苦しみの心が薄らいでいきます。苦しんでいる自分に執着しすぎるから、いつまでも苦しみが消えないのです。他人に善行を施し喜ばせることで、最後には大きな幸せとなって自分に帰って来ます。善因楽果です。いつの間にか、苦しみは消え去り、無上の幸福感だけが残ります。これが正しい耐え方です。とても積極的で勇敢な態度です。

本当の幸せを得る方法として、仏教が「六波羅蜜(ろくはらみつ)」を説くのをご存じの方も多いでしょう。六波羅蜜の最初の三つは「布施・持戒・忍辱」です。布施は他人を喜ばせること。持戒は規則正しい生活をすること。忍辱は忍耐のことです。これらが先頭の三つに並んでいることの意味を考えてみてください。

忍耐は、幸せを得るための最上の方法ではありますが、苦行でもあります。耐え忍ぶこと、その上さらに善行を施すことはもっと苦しいことでしょう。お釈迦様が「最上の苦行」とまで仰ったのですから、そう思うのも当然です。それでも、お釈迦様のお墨付きがあるのですから、安心して苦しめば良いのです。あなたの忍耐が正しい耐え方なら、今は苦しいかもしれませんが、将来には必ず幸せが得られます。しかもその場だけの一時的な幸せではなく、あなたの一生を貫く本物の幸せです。「苦しくて仕方がない」という方、「どうすればいいのか分からない」という方は、ぜひ試してみてください。試したところで損をするということはありません。

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2017年08月02日

比べる心

人が二人集まると、それぞれに自意識が生まれ、自分と相手とを比べる心が芽生えます。一人でいた時にはなかった心です。比べる心は良い時もあれば悪い時もあります。悪い時というのは、「上下・勝ち負け」という具合に、両者に価値の差をつけることです。反対に良い時というのは、「お互い様」というふうに両者の価値を等しく見ることです。前者は、喜びと苦しみの繰り返しで、落ち着きなく、心は乱れ、疲れ果てます。後者は、感情の起伏が抑えられ、いつも穏やかでいられます。

私たちは常に比べていますし、また比べられてもいます。人が集まって暮らしている以上、この関係が消えることはありません。そうであるなら、この関係の中にあっても、変わらず幸せでいられるような心のあり方を探すべきなのです。

人は必ず死ぬものです。80年もたてば誰でも死にます。先を争ったところで何になるでしょう。すべての人が等しく「死」という同じ運命を持っているのに、「上下・勝ち負け」といった差をつけて、それがいったい何になりますか。上にいる人は、下に落ちないか不安で仕方がありません。勝っている人は、負けることが不安で仕方がありません。本当の幸せなど手にしていないのです。

誰でも死ぬのなら、それはまさに「お互い様」というものです。「自分も人も同じだ」と思えば、褒められても踊らず、けなされても沈まない心が育ちます。これが、変わらない本当の幸せというものです。河野進の詩をご紹介しましょう。

争って先きがけするより
途中もみんなと仲よく行きたい
どうせ海に落ちつくのだ
あくせくせずに
悠々と参ろう

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2017年07月10日

問い: 信頼していた人に裏切られました

答え: あなたのターニングポイントです。慎重に考えて下さい。

人が人を裏切る時にはどんな事情があるでしょうか。考えられることは二つです。 まず第一に、相手の方があなたとの関係よりも自分の利益を優先した場合です。程度の差こそあれ、人は誰でもエゴ(自己中心性)を持っています。人のことよりも自分のことを先に考えようとする悪い習性です。智慧のある人はエゴを上手にコントロールして、人にも自分にも嫌な思いをさせないようにバランスをとっていますが、愚かな人は、人に嫌な思いをさせてもそれに気づかないか、もしくは気にしません。目の前の利益に心奪われ、「人は人を大切にすることで幸せを得る」という事実を見落としてしまうのです。このような人に対しては、あなたがその行為を許すことで、その人が放つ悪い波動の支配から脱出するしかありません。相手に「私が嫌な思いをしないように、あなたが変わってください」と要求しても、聞き入れられることはまずありません。「裏切られた。嫌な思いをさせられた」と思い続けることは、いつまでも相手の支配下にあるようなもので、あなたは貴重な時間を浪費して損をするばかりです。あなたが許せば、その瞬間に相手の支配から抜け出て、自分を取り戻すことができます。許しはしますが、以後は明確に距離を置くことです。信頼に足る人ではないからです。相手が改心しない限り、元に戻ることはありません。

第二に、人に裏切られるような原因をあなたが作っていた場合です。人が人を裏切るというのは余程のことです。本来、人間は協調する生き物です。それに反するからには相応の理由があると思わねばなりません。あなたは気付いていませんが、もう何ヶ月も何年も何十年も、相手の心を傷付けていたのです。あなたは信頼していたのかもしれませんが、相手はあなたに積年の怨みがあるのです。まるで喜劇のようです。あなたは、自分に原因があることも知らずに、相手の裏切り行為をなじっています。そのようなことをしていると、やがて、家族も友人もあなたから去り、最期は一人ぼっちになってしまいます。あなたに必要なのは「自分の悪い部分を分析する努力」と「過ちを素直に認め、頭を下げて謝る勇気」です。普段、自分は悪くないと思っている人は、自己弁護が巧みです。口数が多いのも特徴です。分析する力を養うためには、まず多弁をやめることです。相手の言動にすぐに反応しないこと。その場は「少し考えさせて下さい」と言ってやり過ごします。よく考えた上で、反応すべきは反応し、そうでないものは忘れてしまうことです。

人はいつでもやり直すことができます。自分に問題があると分ったら、ドラマチックに変わることです。人は誰でも「お互い様」です。過ちを認めて素直に謝る人を見ると、誰でも許したい気持ちになります。自分にも身に覚えがあるからです。協調は人間関係の自然な姿です。誰もが協調を望んでいます。わざわざ自分だけ孤立するような生き方を選ぶ必要はありません。

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先日、電話相談をされた女性へ
不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。わざわざお電話をくださったのに、お話を最後までお聴きすることができませんでした。失礼を深くお詫びします。電話の冒頭で「同僚に裏切られた」というお話をされておられましたので、わたくしの思うところを書かせていただきました。何かのお役に立てば幸いです。
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2017年06月25日

問い:追善供養って何ですか?

答え:故人が成仏できるように応援することです。

人が亡くなるとお葬式をします。お葬式とは、故人を仏様の弟子にする儀式です。弟子になって初めて、修行して自分自身も仏になる資格を得るのです。お葬式によって、故人は仏になる(成仏する)資格を得ますが、まだ成仏したわけではありません。これから四十九日間をかけて修行(善い行いを)するのです。しかし修行したからといって必ず成仏できるとは限りません。生前、悪い行いが多かった人は、死後も苦の報いを受けることになります。生前の悪行が死後の善行を上回っている時には、閻魔さまの判断で四十九日目に地獄に連行されることもあります。成仏はさせてもらえず、再びこの世に戻されることもあります。

人は誰でも例外なく悪い行い、すなわち命あるものを殺し、嘘を言い、怒りで人を傷つけています。人は一生のうちに数え切れないほどの悪い行いをしているのです。だからこそ、成仏するためには、生前の悪行を上回る善行を積まなければならないというわけです。しかし、故人の修行(善行)だけでは足りないかもしれません。そこで故人の善行に、遺族の善行を追加して、何としても故人に成仏していただくという供養の方法が生まれました。それが追善供養です。「追加の善行」ですから「追善」と言うのです。

では、遺族の善行とは何でしょうか。「故人が成仏できますように」と祈ることだけではありません。もっと現実的な善行です。故人とは無関係でもいいのです。笑顔で人に「おはよう」と挨拶したり、お母さんの家事を手伝ったり、友達の悩みを聞いてあげたりです。自分以外の人が喜んでくれることなら何でも良いのです。あなたが行なった善行の功徳は、故人の成仏を助けることになります。

49日間は意識して善いことをするように、人を喜ばせるようにします。追善供養は、故人を成仏させることの他にもう一つ効果があります。それは、大切な人を亡くしたあなたの悲しみを癒やすことです。仏様は言います。「心の痛みを消し去る方法はただ一つ。人を幸せにすることである」と。故人の成仏を助け、あなたの心の痛みも癒やす、この一石二鳥とも言える功徳を持つのが追善供養なのです。

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2017年06月17日

自慢しない!悪口言わない!


人は誰でも心の奥底に自己中心性を持っています。エゴと呼ばれるものです。仏教では末那識(まなしき)と言ったりします。このエゴが時々悪さをします。

人に自慢話をすること。「どう?私ってすごいでしょ?」と言われて、心から素直に「うん、すごいね」と答えられる人は多くありません。大抵の人は心の中で「自慢なんかして、嫌な感じ」と思っています。なぜ多くの人が嫌がるようなことを言うのでしょうか。答えは簡単。自慢話をする人は、多くの人が嫌がっているという事実を認めたがらないからです。本当は、自分も、人の自慢話を聞くのは嫌なはずなのに…。分かっているのに事実を認めない。それだけエゴが強いのです。

人の悪口を言うこと。良くないことだと分かっているのに、悪口を言ったり批判したりします。それが嬉しいからです。悪口を言う人も、それを聞く人も「自分はもっとマシな人間だ」とどこかで思っています。自分が優位に立ったような気持ちになります。自分も誰かに悪口を言われているという事実は認めようとしません。これもエゴが強いからです。

こういうことを繰り返していると、人間関係は表面的な付き合いだけになってしまいます。どこにも信頼関係は生まれません。自慢話はしない。人の悪口は言わない。簡単に出来そうなのに、なかなか出来ないのは、あなたのエゴが強すぎるからです。エゴは恐ろしいです。自分の人生だけでなく、人の人生まで破壊します。自慢しそうになったら、悪口を言いそうになったら、すぐに口にチャックをしましょう。それは、あなたがエゴの暴走を一所懸命に食い止めている証拠です。そういう努力をする人は、他人のことを大切に思っている人です。そいう人は、他人からも大切にされます。そこから信頼関係や愛が育っていくのです。

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2017年05月10日

【死と向き合う】私の人生は何だったのでしょうか


『死と向き合う』と題して、死に直面した人々の心の声を連載します。これらの声に私たちはどう向き合って、何を答えればいいのでしょうか。死は誰にも平等に訪れます。自分自身の事として、または見送る側の家族として何ができるのかを一緒に考えて参りましょう。

この声の背景には、「自分の人生の意義が分からず虚しく感じる。意義ある人生を送れず後悔している」という嘆きがあります。死を目の前にした時、人は誰でも否応なく自分の人生を振り返ります。その時、多くの人にとって一番の気がかりは「人生の意義」です。

意義とは何でしょうか。「生きた証(あかし)」と言う人もいれば「存在価値」と表現する人もいます。いずれにせよ、一般には「生きている間に、自分は何か価値のあることをしたか」ということではないでしょうか。価値は人によって違います。ビジネスに成功してお金と社会的地位を手に入れることかもしれません。または家族や孫に恵まれることかもしれません。反対に、目に見える形では何も残せず、独りで寂しい思いをしている人もいます。

仏教では、人によって感じたり感じなかったりする価値は説きません。それらは私たちが自分の都合で勝手に作り上げたのであり、大小、高低、優劣、多少といった人との比較が前提になっています。仏教は、人と比較しない絶対的な価値だけを説きます。つまりそれは、「人間としてこの世に生まれる」ということです。

こう言うと「生まれることなんて努力とは関係ない、自分で成し遂げたとは言えない」という反論が聞えてきそうです。現世に限って言えばその通りです。しかし仏教はもっと大きな時間軸で物事を見ます。現世だけでなく、過去世にまでさかのぼって見るのです。あなたは、過去世で何かとても善いことをしたから、そのご褒美として、今こうして人間に生まれることができました。他の生き物、例えば鳥とか牛とかミミズとかに生まれていても不思議ではありませんでした。こんな例え話があります。東京タワーの上からコップ一杯の水を捨てた時、水は細かく別れて霧となり空気中に拡散します。拡散した水が再び集まって、地上に置かれたコップを元と同じように満たすことはほとんどあり得ません。これと同じで、ある人が死んで再び人間に生まれてくることは天文学的に低い確立であって、ほとんどあり得ないのです。

なぜ人間に生まれることがご褒美なのかと言えば、それは、地球上の、星の数ほどある生命の中で、人間だけが真理を学ぶことができるからです。つまり、こういうことが言えます。人生の意義とは、人間として生まれること、そして真理を学ぶこと、この二つなのです。あなたはすでに「人間として生まれる」は達成しています。残る一つ「真理を学ぶ」は、あなたの呼吸が止まる最期の瞬間までトライできることです。

真理とは「すべての命はつながっている。命は孤立することがない」です。そして、真理を学ぶとは、これが自分にとってどういう意味なのかを考えることです。命がつながるとは、互いに影響し合うこと。その中には、人は人を支え、また同時に支えられているという事実が含まれています。真理から見れば、あなたがこれまでどのように生きてきたかは関係ありません。あなたはただ生きているというだけで、すでに誰かを支えているのです。実感がありませんか?それはあなたが、目で見て肌で感じるものしか相手にしない生き方をしてきたからです。そのような窮屈なものの見方から、もっと大らかなものの見方に変えてはどうでしょうか。

人生の意義は、すべての人類に対して平等に、すでに与えられています。多くの人が、すでに達成したものと達成していないものの区別さえできないでいます。人生の意義について、遠くに答えを求めても、そこにはありません。あなたの足元にすでにあるのです。あなたは誰を支えましたか。そして誰に支えられましたか。時間をかけてゆっくりと考えてください。その答えが見つかった時、あなたの人生の意義はすべて達成されます。

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